連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

絶対女王の影で――知られざる親子の物語 皆川博恵はレスリングと生きる

佐野美樹

留学先でも自ら練習できる環境を探す、結局は好きだった

72キロ級の皆川は、普段のトレーニングでは男子に混ざって練習している 【佐野美樹】

 高校に進学する際もひと悶着あった。中学3年時の全国大会で優勝した皆川には、他県にあるレスリングの強豪校からも声がかかっていた。子どものころからずっと父親が指導者だった彼女にとって、他の世界をのぞいてみたいという気持ちが湧きあがるのも無理はない。しかし父から言われた一言で思い直したという。

「私が違う学校に行って、試合で対戦相手が自分の娘だったとしたら、敵のセコンドになんてつけないって言われたんです。それを聞いて、ちょっと考えてしまいました。確かにそうだよなあって。それは兄が進学するときにも、同じことを言われていたんですけどね(笑)。あとは将来のことも考えて、立命館大学の付属高校ということもあって、最終的に父の勤める高校に行くことにしました」

 ここまで聞いていると、結局のところレスリングにおける恵まれた環境で、父親から英才教育を受けたサラブレッドのようなイメージを持つかもしれない……。だが、そこはちょっと違う。

 確かに皆川にとって、レスリングをするのは「当たり前」で、備えていたポテンシャルもうらやましいほどに高かった。だからこそ、幼いころから結果を出せたのも間違いない。しかし、いわゆるスパルタのような指導や教育を受けてきたわけでもなければ、ちょこっと湧き出る浮気心を、特にとがめられるわけでもなかったのだ。やりたいことを自ら決断し、のびのびとレスリングを楽しんできた。高校に進学しても、それは変わらなかったのだ。

 皆川は高校2年生のときに1年間、ニュージーランドに留学している。ただ、それもレスリングのための留学ではなく、あくまで語学を身につけることが目的だった。しかしそこでも、やはりレスリングが好きだったため、皆川は自らレスリングができる環境を探し、ニュージーランドの選手権などに出場した。父・秀知さんは言う。

「僕は教育者でもあるので、レスリングをやる上でもいろいろなものを多面的に見られる人になってほしいと思っているんです。だから、娘にはいろいろなことにチャレンジしたり、興味を持ってほしかった。レスリングにつまずいたときにも何とかなるように。だから、娘が高校生のときも、これからの時代、英語ができないといけないという思いもあって留学させたんです」

のびのび育った皆川がぶつかった大きな壁

大人になり、シニアの大会に出場するようになった皆川に立ちはだかったのが当時の女王・浜口京子(右)だった 【佐野美樹】

 父・秀知さんの隣に座り、明るい笑顔を見せていた母・みち子さんも、こう言った。

「うちは全然、べったりって感じじゃないんですよ。いつだって嫌になったらレスリングをやめたっていいと思っていましたから。でも続けているってことは、好きなんでしょうねえ(笑)」

 皆川は、穏やかで、どこかのんびりしていて、とても格闘技をしているようには思えない性格をしている。一言で言ってしまえば、おとなしい。両親の話を聞いていると、のびやかに育ってきたことがよく分かるし、彼女のゆったりとした人間性が形成されたのもうなずける。

 しかし一方で、秀知さんは冗談めかして、こう悔やんでもいた。

「女の子の練習相手は少なかったし、男子に混ざっての練習は大変だったと思うので、あまり厳しいことは言いませんでした。だけど高校でも3年間、男子と同じ練習をきっちりとやっていたら、間違いなくもうちょっと早くに結果が出ていたはずやな、と思わないこともないですね(笑)」

 天真爛漫とまではいかないが、のびのびと育ってきた皆川は、大学に進学すると同時に、シニアの大会に出場するようになる。すると、ついに大きな壁にぶち当たる。立ちはだかったのが、「浜口京子」だった。

 皆川はここから約7年間、その大きな、大きな壁に挑み続けることになるのだ。

<後編に続く>

(企画構成:SCエディトリアル)

【佐野美樹】

皆川博恵(みながわ・ひろえ)
1987年8月19日生まれ。京都府宇治市出身。クリナップ所属。父親がレスリングの指導者だったこともあり、幼少期から競技を始め、立命館大学時代は全日本学生選手権で連覇。卒業後はクリナップに所属し、五輪出場を目指すが、浜口京子に勝てず2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪出場を逃した。その後、2016年リオ五輪出場を目指すが、前年に負傷して、またしても五輪出場を逃す。一度は引退を決意するも、国内大会に優勝。2017年に結婚。同年の世界選手権で初の銅メダルを獲得して現役を続行すると、翌2018年のアジア大会では銀メダル、世界選手権でも銅メダルに輝いた。2020年東京五輪での女子レスリング復権の期待を背負う。

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著者プロフィール

東京都出身。写真家いしだまこと、梁川剛に師事後、フリーランスのフォトグラファーに。サッカーやレスリングを中心としたスポーツや、人物ポートレートなど幅広い分野で活動。多くのスポーツ雑誌や一般誌などに写真が掲載されている。また、講談社『モーニング』誌上で人気サッカー漫画『GIANT KILLING』のスピンオフコラムとして、撮影に加えてインタビュー・執筆まで担当した連載を書籍化した『コトダマ ―蹴球魂 Jリーガーを変えた一言―』を2014年に上梓した。

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