中日・与田新監督、闘将の教え胸に会見 「ファンを驚かせるチーム作りたい!」
記者会見で矢野博也球団社長(写真右)と握手を交わす与田剛新監督(同左) 【写真は共同】
以下は会見冒頭の与田氏のコメント。
「みなさま、こんにちは。与田剛と申します。お忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。名古屋には23年ぶりに戻ってくることができました。実は家族ともども本籍は名古屋に置いておりまして、名古屋を、ドラゴンズを去るときに、もう一度この場所に帰ってきたいという思いを持っていましたが、このような形で名古屋に帰ってくることができて非常に光栄に思っております。親会社は新聞社ですから、われわれのチームの素晴らしい記事を載せていただいて、多くの方にそれを見ていただいて元気になっていただきたい。明るい街を、地域を、応援していただけるファンの皆さんに囲まれながら、素晴らしいチームを作っていきたいと思っております。
これまで野球に携わってきて、このような形でお招きいただけることは想像していませんでした。私自身が一番驚いておりますけれども、地域の皆さんと一緒に戦っていきたいと思っております。マスコミのみなさまにも助けていただくことが多々あると思います。今後ともよろしくお願いいたします」
就任要請後「すぐにお返事をさせていただいた」
――新監督としてこの会見に臨んでいる今の心境は。
本当にたくさんの方々に応援をしていただいている。実際、報道が出た後というのは、街を歩いていても多くの方に声をかけていただけるようになりました。その中で、いかにドラゴンズファンが多いかということを感じました。やはり名古屋に、ドラゴンズに帰ってきたいという思いが長年ありましたので本当に感謝の気持ちと、もちろん不安な気持ちもありましたけど、自分の力を全て出し尽くしたいと思っています。
――就任要請はいつ頃だったか。
10月に入って、社長をはじめ、オーナー、みなさまにお招きいただきまして、オーナーと握手を交わせていただいたときに「ぜひよろしく」というお話をいただきました。細かい話は全くしなかったのですが、皆さんの表情と握手で汗がにじみ出る緊張感がありました。
――要請から決断までの時間は。
短かったですね。すぐにお返事をさせていただきました。
――プロ野球の監督に対する思いは。
プロ野球の選手としてスタートを切らせていただいて、それまではプロ野球選手になることが一番の夢。監督というのは、全く想像していませんでした。テレビのお仕事(解説)をさせていただきながら、自分が監督だったらどうするのかなというシミュレーションをする程度でしかなかったのですが、徐々に(監督への意欲は)湧いてきたのだと思います。年齢を重ねていく中で一つの夢になっていたと思います。
――プロに入るきっかけとなったドラゴンズの監督ということについての思いは。
私をプロ野球選手にしてくれた球団ですから。当時、そうそうたるドラフト候補生がいる中で、ドラゴンズが私を単独指名していただいた。この思いというのは一生忘れることはありません。何か強いご縁というか、運のいい男だなというのは思っています。
――外から見てきたドラゴンズの印象は。
今年は東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチをさせていただいて、違うリーグの2軍にいました。今年はほとんど見る機会がなかったのでいい加減なことは言えないのですが、ここ数年低迷しているのは分かっていました。交流戦もありましたから敵チームという感覚で見ていて、うまく結果が出ていないなとは思っていました。
――6年連続Bクラスのチームを率いることへのプレッシャーは。
プレッシャーは探せばいくらでも出てくると思います。必ず良くも悪くも原因があると思うので、その原因をしっかりと明確にしていきながら、一つずつ課題をクリアしていくという意識しかないですね。
――今季はリリーフ陣に苦しんだ。現時点での策は。
まずはしっかり選手を観察するということ。これは全ての選手に対してです。先発投手が一つでもアウトを多く取っていく。まずそこからスタートをしていかなければ、リリーフ投手に多くの負荷がかかってしまう。できるだけいい形で(リリーフ投手を)マウンドに上げられるように、先発投手の整備というものもリリーフ陣には必要だろうなと思っています。