星稜が甲子園で体感した野球の怖さ “ひ弱さ”を乗り越えての劇的一戦
星稜の1年を主将として引っ張ってきた竹谷(写真右)、今春以降4番として活躍した南保 【沢井史】
前チームで主将だった竹谷理央と4番を打った南保良太郎だ。前チーム……いや2年生の時からチームを引っ張ってきた2人だが、今思うとこの2人の成長なくして春夏連続の甲子園出場は成し得なかったのではないかと思う。
昨秋の北信越大会は大差完封負け
ちょうど今から1年前の秋の県大会。投手で4番も務めていた竹谷はベンチにいた。右手の有鈎骨(ゆうこうこつ)を骨折し、投げるどころかバットも振れなかった。ともに2年夏から試合に出ていた南保は「あの頃は自分も含めて打てる選手がいなくて不安しかなかった」と振り返る。
そのうえ、なかなか破れない“壁”もあった。近年、メキメキと成長を続けてきた日本航空石川だ。昨夏の準決勝で対戦し、星稜は7対8で敗れ甲子園を逃した。日本航空石川はその当時のメンバーを多く残し、主砲の上田優弥を中心とした強力打線が武器だ。新チームとなった昨秋の県大会の決勝でも再び対戦し、今度は星稜が終盤に跳ね返して勝ち、何とか県の頂点に立ったが「ちゃんと勝ち切ったとは思えない」と竹谷は言う。
北信越大会では決勝でまた日本航空石川と対戦。しかし0対10の完敗だった。先発した奥川恭伸がまさかの5回7失点。頼みの速球をことごとく打ち返され、後続の投手も踏ん張れなかった。何より課題だったのは打線。試合ごとに打順が変わり、固定されていたのは4番の竹谷くらい。鯰田啓介や南保は攻撃の軸ではあったが、ポイントゲッターとして今ひとつ機能せず、試合後「とにかく攻撃面が弱い。航空さんとウチが対戦すると、(日本航空石川が)高校生と(星稜が)中学生が戦っているように見えた」と林和成監督が話していた。
「秋の大会が終わった頃は、航空に大差で負けて落ち込んだというより“どうすれば航空に勝てるのか”ばかり考えていました。このままでは力の差はありすぎるなと思いました」と南保。チームに危機感が漂ったまま、冬の練習を迎えることになった。
過酷なメニューを乗り越えて春8強
そのエルゴメーターは土日のみの練習メニューだったが、昨冬は平日練習でも取り入れられるようになった。過酷さは増したが、連日自身を追い込んだことで下半身に安定感が増しパワーがついた。センバツでは秋に危惧されていた打線は3試合すべてで2ケタ安打を放ち、準々決勝では三重と壮絶な打撃戦を演じた(9対14で敗退)。秋までにはない戦いぶりだった。
13年ぶりに出場したセンバツでベスト8。ただ、チームに満足感はまったくなかった。
「自分はセンバツの間なかなか調子が上がらなくて、打つ方も投げる方も全然ダメでした。ベスト8とは言っても自分は何もできていない。三重との試合も、完全に打ち負けた試合ではなかったので、もっとやれる気がしました」(竹谷)
「センバツで課題として残ったのは守備でした。バッティングは……打てたのは打てたんですけれど、まだまだやれる気がして。これで終わりではないと思いました」(南保)
ずっとライバル視していた日本航空石川も同じベスト8。しかも3回戦で優勝候補の明徳義塾を撃破し、準々決勝では東海大相模に1対3と惜敗。昨夏に続き、全国の舞台で名を馳せるライバルはさらに波に乗っており、“日本航空石川を倒さないと夏はない”という意識も次第に強くなっていった。
見違えるほどたくましくなった打線
そこからチームは躍進を続けた。南保はセンバツ以降不動の4番となり、中学時代にU−15日本代表で活躍した1年生の内山壮真も加わり打線に厚みが増した。春の県大会では決勝で日本航空石川を4対0で下し優勝。北信越大会も制した。夏の石川大会は5試合すべて無失点で圧倒的な力を発揮し、決勝戦は歴史的なスコア(22対0)で大勝して、甲子園切符をつかんだ。決勝で4本のホームランを放った竹谷は「たまたまです」と謙そんしたが、昨秋“ひ弱だ”と揶揄(やゆ)されたことを思うと、打線は見違えるほどたくましくなっていた。
済美戦でのアウェー状態に戸惑い
今夏の甲子園2回戦、星稜は延長13回に本塁打でサヨナラ負けという劇的な試合となった 【写真は共同】
「4回で奥川の足がつったのもそうですが、全員の体が動いていなかったんです。すごく疲れ切っていたというか……。打席に立った時も、ランニングをした直後みたいに肩で息をしながらバットを振っていた気がします。暑さがどうというより、体がだるくて。今までにこんなことはなかったので想定外でした」(南保)
遊撃手の内山も足をつって交替、4番手で登板した竹谷も足がつって1死しか取れず降板した。前日まで万全に酷暑対策をしていたにも関わらずだ。初戦とは違うコンディションと、今までにない緊張感があったからなのだろうか。
8回裏、竹谷が6点を失うなどして8点が済美のスコアボードに刻まれた。6点あった差が一気になくなるどころか2点を勝ち越され、残す攻撃はあと9回のみ。1点ならまだしも、2点の差はダメージがあったはずだ。だが、それでもナインは下を向かなかった。
「自分たちは秋からビハインドの展開を何度も経験していたので、リードされても焦りはなかったです。まだまだいけると思っていました」(竹谷)
ただ……その当時の様子を南保がこう振り返る。
「あれだけの点差を逆転されたので、球場の雰囲気が一気に済美の応援モードになっていて……。“これが甲子園か”って。今までとはまったく違う雰囲気でした」
それでも星稜ナインは意地を見せ、連打で2点を奪って追いついたが、9回裏の雰囲気は変わらなかった。
「9回の裏は済美のサヨナラ勝ちを期待するような声が大きかったです。自分がライトを守っていても後ろからそんな声ばかり聞こえていました」と竹谷が話すように、球場のムードはアウェー状態。ここ数年、甲子園で起こる“現象”に多少の戸惑いはあった。
負けた気がしない…まさかの幕切れ
タイブレークは初めての経験だった。無死一、二塁で迎えた9番打者・政吉完哉の三塁前のセーフティバントが内野安打になり、無死満塁。それでも三塁の守備位置にいた南保は「バックホームで何とか刺せる。ピンチだったけれど、気持ちでは負けていないつもりでした」。
そして1番の矢野功一郎が振り抜いた打球が右方向に上がった。
「あの時、風がすごく強かったんです。打球が切れるように見えて、打ったバッターもファウルだと思って戻ろうとしていたので…。そうしたらポールに当たったのが見えて」(竹谷)
ホームランと審判がジャッジをし、球場にそれが知れ渡るまで一瞬の静寂があった。南保は「一瞬、時が止まったような感じでした。そこからホームランだというのが分かりましたが、鳥肌が立ったというか、怖くなりました。これが野球なんだなと」と当時を振り返る。
ただ、試合後の星稜ナインには悲壮感はなく、むしろ淡々としているように見えた。劇的だったとはいえ、あまりにもあっけない幕切れに、南保は「負けた気がしなくて、もっとやれるという気持ちが強かった」と涙なくインタビューに応じていた。
竹谷も「自分たちは上まで行けるという自信が最後まであったので、負けたことを受け入れられなかったです」。不測の事態が起きるなど不運な面もあったが、秋の悔しさから1年間、積み上げてきたものは無駄ではなかったと言っているようだった。
ただ、あの試合で野球の怖さも痛感した。
「今思うと負けた悔しさはあります。でも、あの経験があったからこそという今後の野球人生にしたいです」(竹谷)
後輩へ引き継がれる野球の怖さ
「星稜が野球の怖さを一番知っているので、自分が最後まで投げるつもりでした」
現在は主将で女房役の山瀬慎之助も、あの試合を最後までリードした者として無駄にしないことを誓う。
「夏も秋も、石川では圧倒的な勝ち方はできましたが、野球は何が起こるか分からない。もっと強くなって日本一を目指したいです」
今年のあの経験が、来年を見据える1、2年生たちの起爆剤にもなっている。秋の県大会を制しても、満足感に浸る選手はやはりいなかった。夏の経験者が多く残り、さらに注目を浴びているが「経験者が多いから勝てる訳ではないと思っています。でも最後まで勝ち切れるチームになってほしい」と林監督。
過去にも甲子園で劇的なドラマを何度も演じてきた星稜。だが、目指すのは日本一。あの試合をただの“劇的な試合”にはしない。
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