日本代表監督・森保一という男<前編> スタッフの証言「すべてが勝利のため」

原田大輔

森保監督に手渡された“ミシャ・ノート”

現札幌のペトロヴィッチ監督とは広島で監督とコーチの間柄だった 【(C)J.LEAGUE】

 そんな白石だが、指揮官として再会した森保監督には、選手時代と違った印象を持っていた。

「監督になってからの森保さんは、要求も厳しくなったと思いますよ。選手のときは僕からみても、本当に我慢していたんだと思う。でも、監督になってからは、どちらかというと、自分が言わなければいけないという使命感があったように思います。

 その根底には、現場の親分として『一生懸命戦っている選手たちのために』という思いがあったんだと思う。だから、スタッフにも、アウェーだろうがなるべく最高の環境を選手たちに提供することを求めていました。ホームならばなおさら。少しでもそこがおろそかになれば、『何でできないの?』と言ってくることもありました。でも、すべては選手たちに最高のパフォーマンスを発揮させるため。チームが勝利するために、すべてを尽くす人でした。

 そこは、メディアやサポーターに対して見せる一面とは違うかもしれません。でも、それですら自分のことは二の次。自分がこうしたいというのではなく、すべてがチームのため、勝利のためでした。厳しく言ってくるのも、僕らスタッフを含め、組織に関わっている全員が仲間だという意識があったからこそ。だから、求める、訴える要求も高かったんです」

 ときには監督と運営担当として言い争うこともあったという。そこまでぶつかれたのは、お互いをリスペクトしていたからであり、互いにチームを、クラブを思うがゆえのことだったのだろう。そんな白石は、森保監督を「努力の人」であり、「先を見る力がある人」と話す。

「ミシャさん(ミハイロ・ペロトヴィッチ/現・コンサドーレ札幌監督)が監督をしていたとき、僕は広報をしていて、森保さんがコーチでした。ミシャさんは言葉が巧みで、言い回しひとつとっても本当に面白い。だから僕は、何か目的があったわけではないんですけれど、ミーティングでミシャさんが話したことを、ずっとメモに取っていたんです。ミーティング中は殴り書きだから、その後、すぐに清書していてね」

 それは09年の終わりごろだった。森保監督は、翌年から広島を離れ、アルビレックス新潟のコーチに就任することが決まっていた。白石のもとに来ると、森保監督はこう言ったのだ。

「ミシャさんがミーティングで話したことを書いてあるメモを、全部コピーさせてもらえませんか?」

 すべてを記録していた白石のまめさにも驚きだが、それを知っていた森保監督の観察力にも驚かされる。

「僕もちょうど広報から異動になることが決まっていて。ノートは数冊分になっていたんですけれど、それももう必要なくなるから、森保さんに全部そのままあげたんですよ。森保さんが広島の監督になって再会したあとも、その話をしたことはないから、(ノートが)どうなったかは分かりません。でも、森保さんとしても、ミシャさんの発言やミーティングでの言い回し、表現は勉強になるところがあったのかもしれない。今の監督・森保を築くうえで、少しでもそれが役に立っているのならうれしいです」

 そう話す白石の声は弾んでいた。

勝利のためならクラブの運営にも気を配る

12年にJ1初制覇を成し遂げ、スピーチをする森保監督 【写真:アフロスポーツ】

 思い起こせば、広島の監督時代、筆者に森保監督はこんな話をしてくれた。

「来シーズンから、エディオンスタジアム周辺の駐車場が住宅地になるから、何千台分もなくなるんだよ。単純計算で、車1台に2人のお客さんが乗ってスタジアムに来てくれているとして、1000台分の駐車場がなくなれば、2000人の観客減になる。それを補ってでも足を運んでもらうには、チームが勝ち続けるしかないんだよ」

 そのとき、チームを率いる監督が、ホームゲームの運営状況をも気にするのかと息をのんだことを覚えている。それを白石に話してみると、点と点がつながって線になった。

「思い出した。いつだったか、森保さんにクラブの収支に関する資料をそろえてほしいとお願いされたことがあったんです。観客動員、駐車場の状況、入場料収入まで、できるだけ詳しくと言われて。数日待ってもらって、まとめて資料を渡しました。そうした知識も、どこかで何かの役に立ったり、選手たちに訴えるきっかけになるかもしれないって思っていたんじゃないのかな」

 あれは広島がJ1初優勝を成し遂げた12年のホーム最終戦だっただろうか。セレモニーでスピーチをした森保監督は、サポーターに向けてこう言った。

「ぜひ、来シーズンのシーズンパスを買ってください!!」

 それはクラブを思うがゆえであるとともに、ひいてはチームの未来であり、勝利のためでもあったのだろう。そして、それはピッチの上で戦う選手たちのグループを築いていく過程でも変わらない。広島で選手として指導を受けた中島浩司が言う。

「森保さんはリアリストですよね。結果を出すために最善の判断をする。そこで情に流されるような人じゃない。常に先を見据えているところはありました」

<後編は9月5日掲載予定>

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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