侍J社会人代表、アジア大会で称賛の銀
チームワークと十分な準備期間で結束

細山田らタイプの異なる先導役がけん引

元プロの細山田(写真左)はチームのムードメーカーとして貢献
元プロの細山田(写真左)はチームのムードメーカーとして貢献【Photo by Robertus Pudyanto - Samurai Japan/SAMURAI JAPAN via Getty Images】

 日本にとって、今大会最大の山場がスーパーラウンドでの台湾戦だった。3点差以上つけて勝つことが決勝進出の条件だったが、5対0で勝利。攻守にわたって際立ったのがチームワークだった。


 石井章夫監督も大会予選でのMVPとして挙げたのが選手名ではなくチームワーク。今回の代表チームをまとめたのは、タイプの異なる複数の先導役だった。


 弁が立ちチームのためなら自己犠牲もいとわないキャプテンの佐藤旭(東芝)を筆頭に、チーム最年長の34歳で経験に基づく裏付けのある言葉と、真摯に取り組む姿勢で引っ張る佐竹功年(トヨタ自動車)。そして元プロ選手で明るい会話で後輩たちをほぐす、目立ちたがり屋のムードメーカー・細山田武史(トヨタ自動車/元横浜DeNAほか)らだ。


 また、十分な準備期間もチームがまとまる要因としてあった。今回の侍ジャパン社会人代表はアジア大会に備え、昨年10月に台湾で行われた第28回BFAアジア選手権に石井監督以下首脳陣、今大会も代表入りした6選手が参加。そして昨冬のアジアウインターベースボールリーグ(台湾で開催)にもJABA選抜として首脳陣、16選手を派遣してアジア大会に照準を合わせてきた。


 海外での試合を経験した選手たちは今大会でのボールの質、マウンドの傾斜や硬さなど、普段との違いを当然あるものとして受け入れていった。日本代表が予選を戦ったラワマングン球場のブルペンは、投球板からホームベースまでが真っすぐではなく、しかも距離が18.44mより約2m長いということもあったが、そんな状況でもその場で出来る最善の方法で対処し、各選手が乗り切っていった。

五輪出場は社会人選手の「希望」

ジャカルタの地から2年後の東京五輪へ。社会人野球の「希望」の道は続くのか
ジャカルタの地から2年後の東京五輪へ。社会人野球の「希望」の道は続くのか【Photo by Robertus Pudyanto - Samurai Japan/SAMURAI JAPAN via Getty Images】

 現状、日本のプロ野球選手が参加する国際大会の最高峰には2006年開始のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)と15年に初開催されたプレミア12がある。いずれも野球だけの大会だ。


 アジア大会と同じ総合スポーツ大会のオリンピックは08年の北京大会以降、野球は種目から外れ、20年の東京で復活となる。オリンピックには侍ジャパントップチームの参加が決まっているが、もともとはアマチュアのものだったオリンピックにプロが参加することを社会人野球の選手はどう思っているのか。


 社会人代表の4番でこれまでにU18、U21など多くの国際大会を経験している笹川晃平(東京ガス)は言葉を選びながら、ゆっくりと丁寧にこう話した。


「オリンピックでは今回の台湾のようにプロとアマ両方から選ばれるようになってほしいです。社会人の選手も世界の野球を経験して、オリンピックに出られるという目標が持てれば、気持ちも変わっていくと思います。社会人の選手にとっての希望がほしいです」


 日本がオリンピックにオールプロで臨むようになったのは04年のアテネ五輪からだ。しかしその後、WBC、プレミア12というトッププロが参加する大会が新設された現状、オリンピックでは笹川が望むように、例えば選手枠1つだけでも社会人野球の選手から選ぶことは出来ないだろうか。


 所属チームでキャプテンを務める内野手の青柳匠(大阪ガス)は大会後にこう話した。


「代表ではどういう人材が求められるか後輩に伝えたい。素晴らしい経験をしたので自分のチームの後輩にも代表に入ってほしい」


 代表での経験は当人だけにとどまらず、社会人野球全体に広がる可能性も秘めているということだ。


「東京五輪の野球に社会人野球の選手枠を」。そんな選択肢があってもいいのではないか。

室井昌也
室井昌也

1972年、東京生まれ。韓国プロ野球の伝え手として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。ストライク・ゾーン取締役社長。

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