【ボクシング】3年契約での米国進出を決めた岡田博喜 ジムのサポートを受けて夢の扉を開く

船橋真二郎

米国の大手プロモーション会社のトップランクと契約を結び、米国進出を果たす岡田博喜 【船橋真二郎】

「夢なんて、見たことなかったんじゃないですかね」――。

 これまでの道のりをそう振り返った男が大きな“夢”をつかんだ。

 去る8月13日、プロボクシングの岡田博喜(角海老宝石)が東京・大塚の所属ジムで会見を開き、米国の大手プロモーション会社・トップランクとの契約締結を発表した。内容は年間3試合を想定した3年契約。練習拠点は日本のまま、今後は主戦場を米国に移す。

 9月14日(日本時間15日)、カリフォルニア州フレズノで行われる米国デビュー戦に勝利し、同じ興行のメインでトップランクと契約しているWBC世界スーパーライト級王者、ホセ・カルロス・ラミレス(米国/22戦全勝16KO)が初防衛に成功すれば、次戦にも世界初挑戦が決まる可能性もあるという。

 さらにラミレスに挑戦するアントニオ・オロスコ(米国/27戦全勝17KO)には、過去に体重超過で試合を中止にした前科があり、万が一の場合、岡田が代役に抜擢(ばってき)されることも発表された。かなり異例にも思えるが、これはラミレスが当初、7月に開催予定だった初防衛戦を別の挑戦者の計量失格で流した事情もあるだろう。

ロス合宿で世界で戦える感触をつかむ

岡田は「自分のジャブは世界にも通用する」と自信を示す。実戦中心は初めてとなるロサンゼルス合宿で「世界でも戦っていける」と好感触をつかんできた 【船橋真二郎】

「最初はびっくりしました。なんで僕なんかに声が掛かるのかなって」

 岡田が素直に口にしたのも無理はない。トップランクと契約した日本人ボクサーはプロ転向のときから契約を結び、WBA世界ミドル級王者となった村田諒太(帝拳)に続いて2人目。日本スーパーライト級王座を6度防衛し、昨年12月にWBOアジアパシフィック同級王座も獲得。4団体すべてで世界ランク入りしているとはいえ、世界的には未知の存在に過ぎない。

 それでも「声が掛かった以上、恥じない試合をしたい」と意気込む岡田はこうも言った。

「自分のジャブは世界にも通用すると思います」

 自信の裏には肌で感じた手応えがある。今年3月上旬からの約1カ月間。同門で日本、東洋太平洋、WBOアジアパシフィックとヘビー級の3冠王者である藤本京太郎とロサンゼルスで初めてのスパーリング合宿を張った。元世界6階級制覇のマニー・パッキャオ(フィリピン)も師事したトレーナーのフレディ・ローチが主宰するワイルドカードジムで、さまざまな相手と手合わせし、「世界でも戦っていける」と感触をつかんできた。

 一方で感じたのが「フィジカルとスタミナ」の違いだったという。現在は、こちらも著名なロベルト・ガルシア・トレーナーにつくが、当時はまだローチとコンビを組んでいたラミレスのスパーリングも目撃。「30秒のインターバル(通常1分)で12ラウンドやって、そのあとも普通に練習していた」と、そのタフネスぶりに目を見張らされた。

 だが、好戦的なファイターのラミレスについて「タイプ的にやりやすいし、届かない相手ではない」ときっぱり。手合わせする予定もあったが、実現しなかった将来のターゲット候補に対し、こう思いを募らせる。

「運命なのかもしれないですね。そこでラミレスとやらなかったことが」

 18戦全勝13KOと7割以上のKO率を誇るが、ジャブから組み立て、スピードとキレ味を身上とする。距離感とパンチの当て勘に優れ、右カウンターも得意。といって、待ちの姿勢にならず、コンビネーションを小気味よく繰り出す。

大学中退から“空白の時”を経てプロ入り決断

今春、ロサンゼルス合宿をともにしたヘビー級3冠王者の藤本京太郎(左)は9月25日に後楽園ホールで試合を控えており、米国には同行しないが「どこに行っても、誰が相手でも変わらない」と岡田の強心臓に期待する。 【船橋真二郎】

 センスも能力も感じさせるのが岡田のボクシングだが「今も特に才能があるとは思わない」と取り合わない。東京・駿台学園高3年時にインターハイ、国体の2冠を成し遂げ、選抜でも準優勝しているが「僕の階級には強い奴が誰もいなかったから」と素っ気ない。

 どこか冷めた目で自身を客観視するところは、ジムの先輩で仲の良い元IBF世界スーパーバンタム級王者・小國以載と重なる。2人に共通するのが同学年にズバ抜けた存在がいたことである。1学年上の小國には高校6冠の井岡一翔、岡田には高校3冠の岩佐亮佑(セレス)がいて、まばゆいばかりの存在感を放っていた。

 もともとの気質でもあるのかもしれないが、圧倒的な才能を突きつけられ、自身を相対的に見て、現実を見るようになったことを小國も岡田も否定しない。

 岡田が高校卒業後の進路を「化け物みたいな人たちの中に飛び込んで、もまれて生きていく自信がなかったし、そのワンランク下でイキがっていればいい」と当時、関東大学リーグ2部の明治大を選んだところにも、それは表れているだろうか。

 結局、レベルの低さに物足りなさを覚え、1年足らずで中退。アルバイトをしながら、母校の駿台学園高やキックボクシングジムで練習する“空白の時”を過ごす。プロのリングに立つことを決意するまで2年余りかかった。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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