6連覇の先は「女子野球界の未来図」 田中大貴がマドンナジャパンに迫る
女子野球W杯で6連覇を目指すマドンナジャパンを指揮する橘田監督(写真左)。田中氏は小野高校野球部入部時の主将で、猪坂彰宏コーチ(写真右)は同級生だった 【写真:田中大貴】
今回、慶應義塾大野球部出身で元フジテレビアナウンサーの田中大貴氏が新潟で行われた直前合宿(6月29日〜7月3日)を取材。6連覇に挑むマドンナジャパンの直前の様子をリポートしてもらった。
橘田監督とは浅からぬ縁があったようで――。
アイスクリームよりプリン!?
このお願いがとても新鮮で、男子選手にはない、女子選手ならではの空気でした。僕の前で差し入れをうれしそうに微笑む精鋭たちは、日本が世界に誇る20人の女子野球プレーヤーでした。
今回、僕は自らが実況を担当するということもあり、新潟で代表合宿を行う侍ジャパン女子「マドンナジャパン」の取材に向かいました。
野球取材においては、これまで15年間、高校、大学、社会人、プロと取材を行ってきましたが全てが男子選手。女子は初めてということで、まずは差し入れをと思い、合宿取材後にアイスクリームを持っていこうと思っていました。
マドンナジャパンが宿泊をしているホテルの隣にあるコンビニでアイスクリームを買おうとしていた時でした。チームでは最年長の川端選手が私のところへ来て、「アイスよりもプリンをお願いします」。これがチームの総意だと笑みをこぼしながら言いに来ました。
ユニホームを脱げば日本代表選手であってもやはり女性。「女の子なんだ」と強く思う部分がある一方で、グラウンドでの姿は別人でした。
ワールドカップ6連覇――。
これこそが今回、彼女らに課せられている絶対命題です。その高みへ向けて全国の女子野球選手が集い、厳しきトライアウトを行い、選び抜かれた20人の精鋭たち。
世界の頂点に立ち続けて5大会。女子野球界において燦然(さんぜん)と輝く歴史を更新すべく灼熱の新潟で勝負の最終合宿を行っていました。
20年前のある女子高生の懇願
僕は、彼女を見て20年前のあるシーンを思い出します。
どうしても高校の野球部に入れて欲しい、どうしても男子生徒と一緒に練習だけでもやらせて欲しいと言って入部の申し出をしてきた女子生徒がいました。当時、16歳の橘田監督でした。
兵庫県は神戸から北に六甲山地を超えた田舎町・小野市。当時、県立小野高校で甲子園を目指し、主将を務めていたのが僕でした。部員は全員男子、マネージャーも男子以外受け入れない。これが小野高校のルールでした。
ただ、「絶対に入れて欲しい」と何度も何度も懇願する彼女の眼差しを見て、情熱に惚れて、僕たちは橘田を部に受け入れることにしました。
条件は全ての練習メニューについてくること。そして、実力は平等に測る、下手であれば、もちろんベンチ外、練習外ということもあると伝え、彼女は一つ返事で条件を受け入れました。実力的に練習に入れないときは1人でグラウンドの片隅で壁当てとゴロ捕球を暗くなるまで延々と行っていたのが橘田でした。
あの橘田が……気が付けば女子野球日本代表の監督に就任し、世界6連覇を目指すことになったのです。鳥肌が立ちました。目頭が熱くなりました。私自身、お世話になったフジテレビから独立した際には絶対に橘田が指揮を執る今大会を実況したいと思い、奮い立っていました。
久々に会った彼女の表情は実に凛々しく、そして厳しくも、どこかあの頃のようにあどけなさが残っていました。
勝てる集団を作る為のチーム作りにおいては、自らがその姿勢を、背中を見せる。練習前の準備も、練習中のふるまいも、練習後の片付けも、バスへの移動・誘導も、選手とともに、いや選手よりも率先して監督自らが行っていました。初日の取材で一目見た瞬間、橘田らしさを感じました。
プレッシャーと不安、この見えない重圧に圧し潰されそうになる衝動を力に変えて、チャレンジしていく――これが今回の橘田監督の思いであり、マドンナジャパンの特徴でもありました。
「日本が絶対女王であることを証明する」
「日本の女子野球が未来へと歩を進める原動力にする」
この二つの言葉を口にした橘田監督。6連覇はただの6連覇ではなく、女子野球界の運命を懸けるものです。