連載:東京五輪世代、過去と今と可能性

浦和の翼、橋岡大樹が示す成長への意欲 東京五輪世代、過去と今と可能性(10)

川端暁彦

「4年間で追い付くのではなく、追い越すイメージで」

橋岡はW杯で印象に残ったシーンに、コロンビア戦後のサポーターの姿を挙げた 【写真:ロイター/アフロ】

――ワールドカップ(W杯)ロシア大会には、A代表のサポートメンバーを務めたU−19日本代表の一員として帯同しました。

 元々4年後に絶対に自分が(W杯に)出てやるという気持ちがあったんですけれど、生で見てもっと強くなりました。もう「絶対に出てやる!」と。

――印象に残っているシーンは?

 日本が勝利した(グループリーグ1試合目の)コロンビア戦の後に、サポーターが泣いているのを見て、本当に感動を与えられるスポーツだなと思いました。自分も絶対この舞台に立って(人を)感動させるようなプレーをやるんだ、という気持ちになりました。

――実際にA代表と練習した感覚はどうでしたか?

 やっぱり自分の「なりたい」と思う選手が相手なので、刺激を受けることがいっぱいありました。練習への入り方などは、まねしていかなくてはいけないとも思いました。

――4年間で追い付くイメージはできましたか?

 いや、4年間で追い付くのではなく、もっと早くに追い付いて、追い越せればという気持ちでいます。もし4年後にスタメンで出たいのなら、そうでないと。日本の中では絶対に誰にも負けてはいけないと思います。やっぱりもっともっと練習して、4年よりもっと前に、認めてもらえるようなプレーをしないといけない。4年後に自分が代表に出ているときに、みんなから「橋岡なら納得だ」と思わせるくらいの選手になっていたいです。

――ロシアでは、生活面が大変だったとも聞きました。

 大変でした。冷房がなくて、冷蔵庫もなくて。移動が多かったのはしょうがないですけれど、やっぱり多かったですね。ロシアは国内でも時差があるので。でもやっぱり、W杯を生で見るということが初めてだったので、本当に刺激になりました。日本戦以外だとスペインvs.イラン(1−0)の試合を見たのですが、あそこから勝利を引き寄せるスペインの強さというか、もう……。

――U−15年代から海外でいろいろな国の代表と対戦してきた経験があっても、やっぱり生で「見る」というのは、感じるところが違うわけですね。


 日本代表はやっぱり日本を代表するチームですよね。日本の中でこの選手がいいと思われているから使われているわけで、そこに選ばれていることがまずすごい。でも、選ばれても活躍する人はほんの一握りです。なので選ばれて、なおかつそこで活躍できるようにしたいと思っています。本当に限られている、数少ない選手しかそこにはいけない。日々の練習から、しっかりやらないといけないと思います。

――日本の中では橋岡選手はフィジカルが強いほうですよね。そういう部分で、国際試合に出場していて感じるところはありますか?

 同じ年代の海外の人とプレーする中で、確かに「強いな」と感じるところはありましたけれど、「通用しないな」という感じはありませんでした。たぶん、今の段階からフィジカル的な差が徐々に開いていくということだと思います。その差を開かせないために、逆に追い越すための体づくりというのが、やっぱり重要になってくるのだと思います。

――体づくりのための筋力トレーニングはやっている?

 今は週に1回くらい、時間を取ってやっています。やっぱりプロに入ってから(欧州でのプレー経験がある)長澤和輝選手の話なども聞いて、もっとやらなければという感覚になりました。食事(の管理)もそうですね。

東京五輪世代に大きな影響を与えた「W杯帯同」

東京五輪世代に大きな影響を与えた「W杯帯同」。ロシアでの刺激は間違いなく、彼らの糧になっている 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 今回、初の試みとなったU−19日本代表の「W杯帯同」だが、目を輝かせて当時の経験を語る橋岡ら選手たちを見れば、その成果は明らか。W杯を「生で見る」という点が若い選手に与える影響の大きさを感じさせた。国を背負って戦う意味、代表選手の価値、そしてそこを目標にするための成長を意識すること。ロシアでの刺激は間違いなく彼らの糧となっている。

――2年後には東京五輪があります。どんなイメージを持っていますか?

 東京で五輪をやるんですから、絶対に出たいという気持ちは強いですし、そこは1つの目標としてずっと持っています。もう1つは、やはり4年後のW杯。それが今は一番の目標です。五輪は絶対に出る、そしてW杯にも出るという気持ちがありますね。

――トゥーロン(国際大会)で、あらためて上の年代に混ざって試合をしましたが、そこで感じたことは?

 Jリーグの試合に出ている人たちもいっぱいいる中で、自分が全然できていないというわけではなかった。でもやっぱりもっと中心の選手になっていかないといけないとは思います。もっともっと必死に練習して、あの年代でも中心の人物になるくらい、頑張らなければいけないと感じました。

――冨安(健洋/シント・トロイデン=ベルギー)選手なども、早くからヨーロッパに行っているけれど、ああいう選手を見て何か感じることはありますか?

「早く海外に行きたい」と言っていたのは聞いていましたし、それで海外のレベルを知りたいという中で、海外に行ったわけですよね。そういう意識について前までは正直、「そうなんだ。行きたいんだ」くらいの感じだったんですけれど、今はそう考える気持ちが分かってきました。

――やはり相当W杯を見に行ったのは大きかったのですね。

 間違いないです。U−19代表には本当に良い選手もいっぱいいますし、絶対にアジア予選を勝ち抜いて、U−20W杯に出ないといけないと思っています。みんなで気を引き締めて、そこは絶対に出ないといけない。

――それでは最後に、2年後の東京五輪ではこんな選手になっているぞ、というイメージをあらためて教えてください。

 その時にはA代表にも入っていたいですし、もちろん五輪で優勝して金メダルも獲りたい。その上で、自信を持って「このポジションは絶対に橋岡に任せたい」と思ってもらえるような選手になっていたいと思います。

橋岡が自らの美点を失わない限り、浦和の翼はさらに大きく、強く羽ばたいていくだろう 【スポーツナビ】

 中学生を高校生に混ぜてプレーさせるような「飛び級」にはリスクもある。「本当に多くの選手がそうやって上の年代に呼ばれたり、年代別の代表に入ったりするくらいに期待されながら、謙虚さを失って伸びなくなってしまうことがあるのを痛いほど知っているので」と語っていたのはユース監督時代の大槻コーチだった。橋岡に目を掛けながら、時に厳しい言葉を忘れず接してきたのは、その失敗をさせまいとしてきたからだが、同時に「橋岡は大丈夫だと思うんですよね」と語り合った記憶もある。

 橋岡は突出して“うまい”選手ではないが、恵まれた身体能力に加えて、戦うマインドと成長への意欲を忘れない姿勢がある。この美点を失わない限り、浦和の翼はさらに大きく強く羽ばたいていくに違いない。

橋岡大樹(はしおか・だいき)

1999年5月17日生まれ。埼玉県出身。182センチ73キロ。ジュニアユース時代から、浦和レッズのアカデミーに所属しており、2017年にはトップチームの2種登録選手としてプレーした。Jリーグデビューは同年8月30日のルヴァンカップ準々決勝1stレグのセレッソ大阪戦で、11月にはトップチーム昇格が発表された。翌年の4月11日、第7節のヴィッセル神戸戦でスタメン出場しJ1デビューを果たすと、そのまま主力に定着。高卒ルーキーながら、着実に試合経験を積んでいる。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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