治安問題はほぼ皆無、報道陣からも好評 W杯開催がロシアに大きな遺産を残す

元川悦子

ロシア人にはおっとりした一面も?

「こんなに安全で快適なW杯は滅多にないと思います」とインドの日刊紙『Deccan Chronicle』のT・N・ラグ記者 【Getty Images】

 10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会を取材したというインドの日刊紙『Deccan Chronicle』のT・N・ラグ記者も「過去2大会はまともに1人で外を歩けず、つねに緊張しながら行動していたけれど、ロシアでは深夜でも1人で街を歩いて宿舎まで帰れますし、夜行電車で移動していてもトラブルは全くなかった」と絶賛する。

「FIFA(国際サッカー連盟)がロシア国鉄と協力して、ファンやメディアのために用意した無料列車も何回か利用しました。時間が正確で使い勝手が良かったですし、車掌さんがわざわざ到着前にドアをノックして『あと何分で着きますよ』と案内までしてくれました。開催地によっては宿泊施設が少なくて、ホテルが取りづらいところもあったけれど、夜行列車なら横になって寝られるので楽だった。こんなに安全で快適なW杯は滅多にないと思います」

 このように安全で心地よい環境が整ったのも、ロシアの真面目で親切な国民性によるところが大だろう。そこはブラジルのサッカーサイト『R7.com』のアンドレ・アブラー記者も評価していた点である。

「大会前はロシアに対してネガティブな印象を持っていました。人々も不愛想でサービス精神が薄く、ホスピタリティーに欠けるのではないかと考えていました。でも、1カ月滞在してみて、厳格すぎるセキュリティーや警備スタッフには辟易(へきえき)した以外は、現地の人にマイナスな感情を抱くことはほぼなかった。英語を話せる人が少なくて、困ることもあったけれど、ジェスチャーや携帯のロシア語翻訳機能を使いながら何とか意思疎通を図れたし、相手側も理解しようという前向きな姿勢を示してくれた。それは本当に有難かったですね」と彼はしみじみ語っていた。

 同じくブラジル出身の前出のバレイカ記者は「地域にもよるかもしれませんが、地方でレストランに入った時、ロシア人スタッフがあまりにものんびりしていたのには驚かされました。なかなかオーダーを取りに来ないし、注文してから1時間経っても食べ物が出てこない。結局、食事にありつけたのは1時間半後でした」と苦笑いしていたが、彼らのおっとりした一面も治安の良さにつながっている部分があるのかもしれない。

 筆者もそんなロシア人気質に触れるチャンスが何度があった。特筆すべきは、7月7日の準々決勝・ロシア対クロアチアをサマラ駅前の飲食店に入って観戦した時のことだ。この試合はご存じの通り、ロシアが最終的にPK負けする悔しい幕切れだったが、敗戦が決まった瞬間、お客さんが不満を言ったり、騒いだりする姿は一切なく、皆が黙って静かに帰路についていた。物静かで理知的な彼らの立ち居振る舞いを目の当たりにして、2年前のユーロで抱いた過激なロシア人のイメージはすっかり消え去った。

大きく変化した人々のホスピタリティー

「海外から来たお客さんたちをサポートしよう」という気運は国全体から確かに感じられた 【写真:ロイター/アフロ】

 この飲食店で出会い、親切にしてくれたロシア人サポーターのように、彼らがW杯に訪れた外国人と積極的にコミュニケーションを取ろうとしていたのも大きなプラス要素。そこは筆者が8年前にロシアを訪れた時とは大きく変化していた点だ。

 当時のモスクワは英語で表示された看板や案内が非常に少なく、通りすがりの人に尋ねなければならない状況がたびたび訪れたのだが、英語で話し掛けると困った顔をされたり、戸惑った様子をのぞかせる人が少なくなかった。松井大輔(現横浜FC)がプレーしていたシベリアの町・トムスクに至っては、英語を話せる人に出会うことがほとんどなく、意思疎通さえも成立しにくかった。

 だが、今回はこちらが困っていると逆に「大丈夫ですか?」と英語で聞いてくれる人も数人いたし、ロシア語翻訳を使って「問題があったら言ってください」と声を掛けられたこともあった。鉄道やメトロの駅、町の要所要所に英語表示が設置されていたことも大きく、行動がスムーズになったのは大きな前進と言っていい。

 もちろんモスクワやサンクトペテルブルク、カザンといった大都市と、サランスク、エカテリンブルクなどの小都市では地域格差があったのも事実だが、「海外から来たお客さんたちをサポートしよう」という気運は国全体から確かに感じられた。

「ロシア人にとってこのW杯は、ひとつの大きな転機になるのではないか。大会後のロシアと、この国の人々の変化が楽しみになりました」と前出のアブラー記者も笑顔でコメントしたように、今大会のW杯開催は間違いなくロシアに大きな遺産を残すだろう。

 ロシア代表が48年ぶりのベスト8入りを果たしたことにより、サッカー文化がより根付くだろうし、11都市に整備された12のスタジアムも有効活用されていくだろう。そうやってW杯開催の影響がポジティブな方向に出れば、理想的なシナリオだ。今回の巨大イベントを経て、同国が貴重な経験をどう今後に生かし、どのような変ぼうを遂げていくのか。それを興味深く見守っていきたい。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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