C・ロナウドとポルトガル代表の15年間 不完全燃焼のW杯、今後の去就は?

市之瀬敦

主将任命、そして戴冠

ユーロ16でついにポルトガル代表に初タイトルを獲得 【写真:aicfoto/アフロ】

 新監督に選ばれたのは、マンUでファーガソン監督の右腕だったカルロス・ケイロスであった。ケイロスの最初の仕事はロナウドを主将に任命すること。今では両者の関係は冷え切っているが、当時はまだ相互信頼があったのだろう。

 10年に南アフリカで開催されたW杯本大会、ポルトガルはグループステージ第2戦で北朝鮮を7−0で粉砕するなど1勝2分けで順調にグループリーグを突破するが、決勝トーナメントで当たった相手が悪かった。優勝することになるスペインに善戦するも、0−1で敗退。試合直後、記者の質問に「カルロス(に聞いてくれ)」と吐き捨てるように答えたシーンは何度もテレビで流された。ロナウドにもポルトガルにもフラストレーションの大きいW杯となってしまった。

 ケイロス監督はサッカー協会とのトラブルなどもあって更迭。代わってパウロ・ベント監督のもとでポルトガルはユーロ12に挑んだ。クラブレベルでは多くの栄冠を手にしてきたロナウドだが、このころには、代表チームの一員として栄光の座につくことをはっきりと夢見るようになっていた。ユーロ12はその夢の実現をあと少しのところで可能にしてくれるところだった。けれども、またしてもスペインが立ちはだかった。準決勝、延長戦を終えて0−0。2人のチームメートがPKを外したら、さすがのロナウドにもなすすべはなかった。

 14年W杯ブラジル大会は「兄弟国」での開催ということもあり、国民の期待も高かった。だが、いざ蓋を開けてみると、ポルトガル人選手のコンディションが悪く、初戦でドイツに0−4と惨敗を喫すると、立ち直ることができず、グループステージでの帰国となった。

 大会後、ベント監督が去り、地味ながら組織立ったチーム作りに定評のあるベテラン、フェルナンド・サントスが監督に就任した。サントス監督は「ロナウド依存」の批判を恐れず、ロナウドが気持ちよくプレーできるチームを構築した。そして臨んだユーロ16、ポルトガルは辛勝を重ねながら勝ち上がった。サントス監督の真骨頂は、フランスとの決勝戦の最後、負傷交代していたロナウドが監督の代わりを務めようとすることを妨げなかった態度だろう。こうして、ロナウドはポルトガル代表のユニホームを着て、悲願の優勝カップを掲げたのであった。

ロナウドの未来

ロナウドがポルトガル代表のユニホームを脱ぐのか否かはまだ分からない 【写真:ロイター/アフロ】

 15年前に始まったロナウドとポルトガル代表の物語――。本来ならその濃密な時間の流れを記すには分厚い一冊の本が必要だろう。だが、この小さなコラムによっても、彼の偉大なサッカーの一端だけでも伝わればと思う。

 今回のW杯をけじめとして、ロナウドが代表のユニホームを脱ぐのか否かは分からない。ひょっとしたら4年後、カタールのピッチにも立っているかもしれない。将来を予見することなどできないが、これまでの功績ならいくらでもたたえることはできる。

 世界のサッカーの歴史書を書く時、君のページは必ず準備される。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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