過去2回のチャレンジとは違う、W杯16強 勝ち進んだことで日本の課題が明確に

宇都宮徹壱

7月のW杯を初めて戦う日本代表

日本代表のW杯での冒険は、ロストフ・ナ・ドヌで幕を閉じた 【写真:ロイター/アフロ】

「7月のワールドカップ(W杯)を初めて戦う日本代表」──グループステージを突破した翌日、ボルゴグラードの空港で日本から応援に来ていた人と談笑していたときに、ふとその事実に気づいて少し胸が熱くなった。2002年の日韓大会のラウンド16(対トルコ戦)は6月18日(現地時間、以下同)。10年の南アフリカ大会のラウンド16(対パラグアイ戦)は6月29日。そして今回のベルギーとの歴史的な一戦が7月2日。過去2大会と比べて、もちろん大会の開幕が遅かったということもあるのだが、それでも月をまたいで日本がW杯を戦っていること自体が、非常に画期的なことのように私には感じられた。

 サランスクからエカテリンブルク、さらにボルゴグラードを経てロストフ・ナ・ドヌまでたどり着いた、日本代表の冒険。これに「ベスト8への挑戦」という歴史的な視点を加えると、「宮城からプレトリア、そしてロストフ・ナ・ドヌ」という新たな断面が見えてくる。それは8年周期の、実に16年にわたる日本代表の挑戦の歴史そのものだ。最初の挑戦は、当時のフィリップ・トルシエ監督が「ここから先はボーナス」という発言が悪い意味で露呈し、よく分からないまま0−1で敗れた。二度目の挑戦は、メンバー固定でベスト8への挑戦権を得たものの、もはや余力がないままPK戦の末に涙をのんだ。

 以前にも触れたことだが、今回の日本代表の躍進は、西野朗監督1人の手腕に帰するものではない、というのが私の考えだ。グループステージ第2戦のセネガル戦で選手たちが発揮した、個々の局面での戦いは、ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督が時間をかけて植え付けたもの。そして、今やチームの心臓部となっている柴崎岳を最初に重用したのは、ハビエル・アギーレ元監督であった。また、今大会のコンディショニングの良さは、前回のブラジル大会(アルベルト・ザッケローニ監督時代)での失敗を検証し、さらにその前の南アフリカ大会(岡田武史監督時代)の成功を受け継いだものと見て間違いないだろう。

 今回のベスト8を懸けた挑戦は、単に今大会限定のものではなければ、ましてや突然の監督交代を正当化するためのものでもない。歴代の日本代表監督が積み重ねてきた仕事と、その指揮の下で幾多の代表選手が戦ってきた延長上で得られた、まさに千載一遇のチャンスなのである。もちろん、幾つかの幸運があったのは事実。しかし、その幸運をつかみ取るだけの努力と野心が、現体制となって寸分も途切れることがなかったこともまた事実である。だからこそ日本は、十分に自信と自負をもって、このラウンド16の舞台に挑むべきだ。相手はFIFA(国際サッカー連盟)ランキング3位。大いに望むところではないか!

満を持してベスト8進出を目指す

後半7分、乾(左)の追加点で日本が2−0とリードするが…… 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 この日の日本のスターティングイレブンは、以下のとおり。GK川島永嗣。DFは右から酒井宏樹、吉田麻也、昌子源、長友佑都。中盤はボランチに柴崎と長谷部誠、右に原口元気、左に乾貴士、トップ下に香川真司。そして1トップには大迫勇也。大方の予想どおり、グループステージ第1戦、そして第2戦のメンバーに戻してきた。西野監督は前日会見で「今まで2回(ベスト)16に進んできましたが、その状況とはまた違う。十分に力をまだ持っている、また生み出せる状況にあると思う」と語っている。この発言に今回のスタメンを重ねると、指揮官が満を持してベスト8に挑む姿勢が明確に見て取れよう。

 そんな日本を迎え撃つベルギーは、ロメル・ルカク、エデン・アザール、ドリース・メルテンスの3トップがそろい踏み。他にも、中盤にはケビン・デブライネ、最終ラインにはバンサン・コンパニが復帰し、ゴールマウスには守護神のティボー・クルトワが控えるベストメンバーだ。ベルギーといえば、FIFAランキング上位に定着した過去5年の間、日本はアウェーで2度対戦しており、結果は1勝1敗。さらにさかのぼれば、02年のW杯初戦で、日本が初めて勝ち点を獲得したのもベルギーだった。そういった意味では、確かに苦手意識はない相手ではある。それでも、舞台がノックアウトステージとなれば話は別だ。

 キックオフは21時。開始2分で香川がファーストシュートを放ち、その後もしばらく、日本が相手陣内でボールを保持する時間が続く。ベルギーはその間、3バックの位置まで両ワイドが下がり、5バックで対応する慎重な姿勢さえ見せた。実のところ、序盤から攻め込まれることをイメージしていただけに、これは意外な展開である。またベルギーが攻める場面でも、日本の組織的な守備はうまく機能していた。要注意人物のルカクにボールが渡っても、2人から3人で囲んで好きにプレーさせない。決して一方的な試合ではなく、むしろ両者がかみ合ったゲームになりそうだ。前半は0−0で終了。

 日本に歴史的なゴールが生まれたのは、後半3分のことであった。乾からボールを受けた柴崎が、右サイドを駆け抜ける原口に向けて鋭い縦パスを供給。一瞬、ヤン・べルトンゲンにカットされると思ったら、さらにボールは伸びて疾走する原口に到達。受けた原口は、いったんスピードを落としてから右足を振り抜き、弾道はそのままゴール左に突き刺さる。日本、ついに先制! しかし、驚きの展開はまだ続く。4分後の7分、ペナルティーエリア前でパスを受けた香川が冷静なボールさばきからラストパスを送り、これを乾がミドルシュート。ボールは無回転でゴール右隅に収まり、日本のリードは2点に広がった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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