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勇敢さを取り戻した守護神、川島永嗣
トップに君臨し続ける男の比類なき経験値

指揮官への感謝と恩返しを胸に、ポーランド戦のピッチへ

ポーランド戦でキャプテンマークを巻いた川島。勇敢なプレーで16強進出に貢献した
ポーランド戦でキャプテンマークを巻いた川島。勇敢なプレーで16強進出に貢献した【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

「日本代表の選手としてプレーする中で、批判されることへの覚悟がなければ、この場所にはいない。前の試合ではチームメートに助けられたので、明日は自分がチームを助けられるようにしたいです」


 日本代表のワールドカップ(W杯)2大会ぶり3度目のベスト16進出を懸けた28日(現地時間、以下同)のグループH第3戦のポーランド戦。この大一番の前日、公式会見に出席した川島永嗣は、あらためて強い決意を口にした。


 ロシア大会に入ってからというもの、手痛いミスを犯していたからだ。19日のコロンビア戦の前半39分にフアン・キンテーロに直接FKを決められ、24日のセネガル戦では前半11分にユスフ・サバリにペナルティーエリア左隅から打たれたシュートをパンチングして、サディオ・マネに詰められた。


 前者は長谷部誠と大迫勇也がそろって飛んだ下を通されたため、壁の作り方がまず物議を醸した。だが、それ以前に川島が後手を踏み、シュートが来た瞬間にゴールラインの後ろでしか反応できなかったことも少なからず問題視された。後者にしても、パンチングという判断は皆無ではないというが、絶好調時の川島なら確実にキャッチングで対応しようとしていたはず。どこか不安定かつ消極的なパフォーマンスが続き、彼への批判が沸騰。「思い切ってGKを代えるべきだ」という意見が一気にヒートアップしたのである。


 ポーランド戦で新たな守護神を起用するか否か……。それは重要なテーマの1つと位置付けられたが、西野朗監督は動こうとしなかった。前日会見に出席させ、試合当日にも長谷部に代わってキャプテンマークを託すほど、川島に絶大な信頼を寄せ続けたのだ。


「(キャプテンは)監督からは試合前に言われました。いろいろな意味があったと思うし、こういう状況の中で託された思いをくみ取って応えていかないといけない」と彼は指揮官への感謝と恩返しを胸に、ボルゴグラード・アリーナのピッチに立った。

窮地を救ったスーパーセーブ

前半32分に見せた右手一本でのスーパーセーブは、日本を窮地から救った
前半32分に見せた右手一本でのスーパーセーブは、日本を窮地から救った【Getty Images】

 セネガル戦からスタメン6人を入れ替えた上、気温36度の酷暑、中3日の過密日程が重なって、日本はこれまで2戦のようなインテンシティー(プレー強度)の高い入りができなかった。ボールを走らせて相手を消耗させるつもりが、逆に支配を許して苦戦を強いられる。最前線にロベルト・レバンドフスキ、右サイドにスピードに秀でたカミル・グロシツキを配するポーランドに何度か鋭いカウンターを繰り出され、窮地に追い込まれる場面もあった。


 最たるものが前半32分の絶体絶命のピンチだ。クルザワがドリブルから中央突破を見せ、右に展開。駆け上がったバルトシュ・ベレシンスキが鋭いクロスを送り、カミル・グロシツキがゴール前でヘッドを放った。これは完全に枠を捉えていたが、川島が右手一本でスーパーセーブ。ボールはラインを半分割りかけたが、得点には至らなかった。「味方を助ける」という公約通りの好プレーを35歳の守護神は重圧のかかる場面で見せつけたのだ。


 後半開始直後にも日本は高速カウンターを食らう。右クロスに飛び出してきたピオトル・ジエリンスキに川島がいち早く反応。鋭い出足でセーブする。FKからヤン・ベドナレクに決められた後半14分の失点シーンだけは悔やまれたが、これはGKではなく、マークを外した酒井高徳の問題だった。川島としてはすぐに気持ちを切り替えて、前だけを見据えるしかなかった。


 その後、同時刻に行われたセネガル対コロンビアのスコアが動き、西野監督が「イエローカードをもらうことなく0−1で負けている状況を維持する」とゲームプランを変更するなど、目まぐるしく状況が変わったが、百戦錬磨の経験値を誇るGKは落ち着き払っていた。そして、槙野智章のクリアがあわやオウンゴールになりそうだった後半36分のピンチも左手一本で弾く。川島の再三にわたる好セーブがなかったら、日本は0−1の状況をキープすることも、決勝トーナメント進出を果たすこともできなかったに違いない。


「GKというのはミスと常に向かい合わせ。ミスを恐れていたらいいプレーはできない。そのはざまで葛藤のある中でプレーしなければいけない。そういう中で最高のパフォーマンスが求められます。自分がピッチに立つ以上は周りを納得させるだけのプレーをしなければいけない。自分としてはそれを証明するしかないと思ってピッチに立ちました」と、彼は1つの仕事を果たした安堵(あんど)感をのぞかせると同時に、次なるラウンド16の大一番へいち早く目を向けていた。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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