2003年 W杯というレガシー<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「ニイガタ現象」を生み出した「箱ありき」の発想

アルビレックスの黎明期を知る浅妻信(左)と森下英矢(右) 【宇都宮徹壱】

 かくしてサポーターズCD『ローカリズム』は、サポーター有志によるコーラス、そしてDJ森下による選手紹介がレコーディングされ、さながらビッグスワンのゴール裏にいるような臨場感を伴った作品に仕上がった。発売されたのは03年の8月。この年、新潟はサンフレッチェ広島や川崎フロンターレとJ1昇格のデッドヒートを繰り広げていた。リーグが進行するにつれて入場者数は増加の一途をたどり、さらにはアウェーにも多数のサポーターが駆け付けるようになった。ビッグスワンの客層が明確に変化したのが、まさにこの03年だったと浅妻は断言する。

「ビッグスワンができた01年当時は、まだスタンドのオレンジはまばらだったんですよ。やっぱり物見遊山の人がけっこういたんですよね。でも、その人たちがリピーターになることで、次第にオレンジ比率が高まっていって、03年にはほぼオレンジに染まりました。一番記憶に残っているのが、J1昇格が懸かった最終節(第44節、大宮アルディージャ戦)。相手も同じカラーでしたから、360度オレンジになってまさに壮観でしたね。公式記録で4万2223人となっていますけれど、実は5万人くらいいるんじゃないかという雰囲気でした」

 この試合で新潟は、大宮に1−0で勝利。前節まで3位の川崎は、1位広島との直接対決に2−1で競り勝っている。この結果、新潟のJ2優勝とJ1昇格が決定。新潟の繁華街はお祭り騒ぎとなった。その後の新潟の盛況ぶりについては、ここに書くまでもないだろう。親会社を持たない地方都市のクラブが、毎試合のようにホームゲームが満員となる。「ニイガタ現象」は全国的に知られるようになり、将来のJリーグ入りを目指す地方クラブはこぞって「アルビレックス新潟」を理想像に掲げるようになった。それにしても、何が「サッカー不毛の地」をここまで激変させたのか。池田の答えは明快だった。

「やっぱりスタジアムですよ。古代ローマのコロシアムみたいな巨大なスタジアムが地元にあって、満員のスタジアムでプロのサッカーの試合が行われる。それはもう、完全に異空間ですよね。チケットを無料で配ることについては『Jリーグの価値をおとしめる』という反対意見もあったけれど、それを続けたおかげで『満員のスタジアムの素晴らしさ』を知った皆さんがウチのサポーターになってくれた。J1に昇格した04年からは、無料チケットを縮小しました。その年のシーズンチケットも、値上げしたのに1カ月で完売しましたね」

 まず、箱ありき。W杯を招致するために「サッカー不毛の地」に約4万2000人収容のスタジアムが作られ、地元のアマチュアチームは県協会主導でJクラブとなった。「箱ありき」という発想は、確かに日本的ではある。W杯期間中、新潟で開催されたのはわずか3試合。ビッグスワンの総工費は約300億円だから、1試合につき100億円となる計算だ。それでも新潟では、このW杯のレガシーを十分に生かしたことで、地域の風景を変え、新たな文化を生み、さらには地元へのロイヤルティーを醸成させることに成功した。ビッグイベントを開催するにあたり、まず考えるべきは宴のあとの日常。現在、ロシアにてW杯を取材していて、今さらながらにその思いを痛感している。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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