2003年 W杯というレガシー<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」
「ニイガタ現象」を生み出した「箱ありき」の発想
アルビレックスの黎明期を知る浅妻信(左)と森下英矢(右) 【宇都宮徹壱】
「ビッグスワンができた01年当時は、まだスタンドのオレンジはまばらだったんですよ。やっぱり物見遊山の人がけっこういたんですよね。でも、その人たちがリピーターになることで、次第にオレンジ比率が高まっていって、03年にはほぼオレンジに染まりました。一番記憶に残っているのが、J1昇格が懸かった最終節(第44節、大宮アルディージャ戦)。相手も同じカラーでしたから、360度オレンジになってまさに壮観でしたね。公式記録で4万2223人となっていますけれど、実は5万人くらいいるんじゃないかという雰囲気でした」
この試合で新潟は、大宮に1−0で勝利。前節まで3位の川崎は、1位広島との直接対決に2−1で競り勝っている。この結果、新潟のJ2優勝とJ1昇格が決定。新潟の繁華街はお祭り騒ぎとなった。その後の新潟の盛況ぶりについては、ここに書くまでもないだろう。親会社を持たない地方都市のクラブが、毎試合のようにホームゲームが満員となる。「ニイガタ現象」は全国的に知られるようになり、将来のJリーグ入りを目指す地方クラブはこぞって「アルビレックス新潟」を理想像に掲げるようになった。それにしても、何が「サッカー不毛の地」をここまで激変させたのか。池田の答えは明快だった。
「やっぱりスタジアムですよ。古代ローマのコロシアムみたいな巨大なスタジアムが地元にあって、満員のスタジアムでプロのサッカーの試合が行われる。それはもう、完全に異空間ですよね。チケットを無料で配ることについては『Jリーグの価値をおとしめる』という反対意見もあったけれど、それを続けたおかげで『満員のスタジアムの素晴らしさ』を知った皆さんがウチのサポーターになってくれた。J1に昇格した04年からは、無料チケットを縮小しました。その年のシーズンチケットも、値上げしたのに1カ月で完売しましたね」
まず、箱ありき。W杯を招致するために「サッカー不毛の地」に約4万2000人収容のスタジアムが作られ、地元のアマチュアチームは県協会主導でJクラブとなった。「箱ありき」という発想は、確かに日本的ではある。W杯期間中、新潟で開催されたのはわずか3試合。ビッグスワンの総工費は約300億円だから、1試合につき100億円となる計算だ。それでも新潟では、このW杯のレガシーを十分に生かしたことで、地域の風景を変え、新たな文化を生み、さらには地元へのロイヤルティーを醸成させることに成功した。ビッグイベントを開催するにあたり、まず考えるべきは宴のあとの日常。現在、ロシアにてW杯を取材していて、今さらながらにその思いを痛感している。
<この稿、了。文中敬称略>