香川真司に漂う“やってくれそうな予感” 4年の時を経て、殻を破った背番号10

元川悦子

ブラジル大会での挫折とクラブでの苦悩

4年前のブラジル大会では結果を出せず、大きな挫折を味わうこととなった 【Getty Images】

 全ての原動力は4年前のブラジルで味わった大きな挫折に違いない。10年の南アフリカ大会には、あと一歩というところで出場がかなわなかった香川にとって、14年のブラジル大会は、幼少期から思い描いてきた夢の大舞台だった。ところが、初戦のコートジボワール戦(1−2)で仕事らしい仕事ができなかったうえ、第2戦のギリシャ戦(0−0)で屈辱のスタメン落ち。最終戦・コロンビア戦(1−4)も見せ場を作れずじまい。ショックはあまりにも大きすぎた。

「4年前、コートジボワールに負けた夜は、今思い出しても精神的に非常に厳しかった。あの日のことは忘れもしない」と本人はあらためて沈痛な表情で打ち明けたが、初戦黒星という激しい落胆と動揺を当時のアルベルト・ザッケローニ監督も見逃さなかった。だからこそ、就任当初から才能を高く買い、攻撃の軸に据えてきた背番号10を先発から外したのだ。この出来事に象徴されるように、当時の香川はメンタル面でもパフォーマンスの部分でも、しばしば不安定さを露呈しており、それが代表で輝けない最大の理由だと言われていた。以前、10番を背負っていた中村俊輔にも、そういう傾向があっただけに、香川にはエースナンバーが重すぎるのではないか、と見る向きもあったほどだ。

 本人もそんな課題を直視し、ブラジル後の4年間は好不調の波のない選手になるべく取り組んできたが、クラブでも代表でも、さらなる苦しみを味わうことになった。ドルトムントでは、トーマス・トゥヘル監督が率いた15−16年シーズン前半戦に、ユリアン・バイグル、イルカイ・ギュンドアン、マルコ・ロイスと形成した「マジック4」で評価を上げたが、それ以外の時期は相次ぐけがや、し烈な競争に苦悩することが多かった。

 代表でも、ハビエル・アギーレ、ハリル両監督から期待を寄せられながら、どこか物足りないパフォーマンスを繰り返していた。「香川ならばもっと10番にふさわしい結果を残せるはずなのに……」と両指揮官も歯がゆさでいっぱいだったことだろう。

「自信を力に変えて、勝ち進むことだけを考えたい」

「自信を力に変えて、勝ち進むことだけを考えたい」と香川。すでに次を見据えている 【Getty Images】

 ただ、香川自身は苦境に陥っても、決して後ろ向きになったり、諦めることはなかった。「ロシアを見据えると、今みたいに苦しんでいるのがちょうどいい」と自らに言い聞かせるように繰り返し、あらゆる経験をロシアにぶつけるつもりで、力強く前へ進もうとしてきたのは確かだ。自身がメンバーから外れた昨年11月と今年3月の代表戦を、わざわざスタジアムまで見に行ったのも、外から客観的に試合を見ることで、自分に何ができるかを真剣に模索したかったからだろう。

 この行動に関しても賛否両論が飛び交ったが、とにかく香川が日本代表を何とかしようと必死に考え、殻を破って行動を起こした事実は変わらない。その意気が仲間たちにも伝わり、代表の空気も微妙に変化した。香川の変ぼうがコロンビア戦の歴史的勝利を後押しした部分は、少なからずあったはずだ。

「もうコロンビア戦は終わったこと。まだ1勝して1点を取っただけで、これからもっとタフな戦いが続く。次の相手は11対11で戦わなきゃいけない。10対11で戦ったコロンビアにも、そう簡単に勝てないんだとあらためて感じたので、もっともっと上にいく気持ちを出していきたい。自信を力に変えて、勝ち進むことだけを考えたい。そういう意味でも、(次戦の)セネガル戦がすごく大事になると思います」

 サランスクからベースキャンプ地・カザンに戻り、24日の第2戦に向けて再始動したナンバー10は、晴れやかな表情で次なる戦いに気持ちを切り替えた。本当の勝負は残り2戦。ここで結果を出せなければ、コロンビア戦の奮闘も無意味なものになる。そうならないように、香川にはさらなる輝きを放ち続け、日本をW杯史上最高成績へと導いてほしい。今の彼には、それだけの大仕事ができそうな予感がある。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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