香川真司に漂う“やってくれそうな予感” 4年の時を経て、殻を破った背番号10

元川悦子

プレッシャーをものともせず、値千金の先制弾

コロンビア戦で値千金の先制弾を奪った香川。試合を通して存在感が際立っていた 【Getty Images】

 30度近い気温、強い日差し、コロンビアサポーター優勢の黄色いスタンドという過酷な環境の中、19日の15時(以下、現地時間)にサランスクのモルドビア・アリーナで、ワールドカップ(W杯)ロシア大会の初戦・コロンビア戦が行われた。

 電光石火の一撃で相手のハンドを誘い、開始早々にPKを得た日本は、エースナンバー10を着ける男・香川真司が自ら奪ったチャンスを決めるべく、ペナルティースポットの前に歩み出た。ゴールを守るのは、14年のブラジル大会で、コロンビア史上初の8強入りの立役者となったダビド・オスピナ。アーセナルでプレーする名守護神には、独特のオーラと風格がある。もともとプレッシャーに弱いタイプの香川が、この重大な局面で冷静さを保っていられるのか……。そこは大いに不安視されるところだった。

 しかしながら、彼は大舞台の重圧をものともせず、すさまじい威圧感と集中力でGKを凝視。相手が一歩先に動くのを見逃さなかった。次の瞬間、自身から見て左に飛んだオスピナの裏をかくように右寄りの位置にボールを蹴り、無人のゴールネットを揺らすことに成功した。

「代表では(本田)圭佑君が出ていたら圭佑君が(PKを)蹴っていたけれど、それ以外は別に決まっていなかった。自分自身も練習していたし、自分で取ったPKだったので、蹴る気満々でした。蹴る時には『ちょっとタイミングを外す』というのが頭の中にあった。相手もデータが取れていなかっただろうから、使えるなと思いましたね」と香川は、値千金の先制弾のシーンを客観的に分析した。

 こうした冷静さは、同じくPKを蹴って失敗し、号泣した15年1月のアジアカップ準々決勝・UAE戦の時にはなかったもの。ゼーフェルトでの合宿中に「ハッキリ言って、もう失うものはないので。(いろいろ)言われ切ったと思っているので、あまり恐れはない。あとは上に変えていくだけなので」と、いい意味での開き直りを見せていたが、その前向きなメンタリティーが12日のパラグアイ戦(4−2)での躍動感あるパフォーマンスを生み出し、コロンビア戦での先制点という形で結実した。

 香川の存在感はこの1点だけではなかった。コロンビア戦では後半25分までプレーし、キレのある動きを保ちながら、攻守両面で幅広く仕事をし続けた。「後半になってから多少、動きが落ちた」と本人も反省の弁を口にしたが、持てるエネルギーの全てを70分間に注ぎ続けたのは間違いない。W杯という大舞台での初得点、そして初勝利という願い続けた成果を手にできたのも、こうした一挙手一投足の賜物(たまもの)だろう。

順風満帆ではなかった、ロシアへの道のり

W杯開幕直前のパラグアイ戦で1ゴール2アシスト、完全復活を印象付けた 【写真:ロイター/アフロ】

 ご存知の通り、香川のW杯ロシア大会に至る道のりは順風満帆とは言えない状況だった。ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督の下で戦った最終予選では徐々に出番が減り、昨年11月のブラジル、ベルギーと戦った欧州遠征では、ついに代表落ちも強いられた。

 今年に入ってから所属のボルシア・ドルトムントで復調の兆しを見せたものの、2月初旬に左足首を負傷。それが予想外に長引き、公式戦復帰は5月12日、ブンデスリーガ最終節のホッフェンハイム戦まで待たなければいけなかった。ハリル監督解任の引き金となった3月のマリ、ウクライナとの2連戦にも、もちろん参加できなかった。

 シーズン終了直後に帰国し、5月21日から始まったロシア大会に向けた国内合宿に合流したが、「90分フル稼働できるようになる時期は、具体的には分からないですね。久しぶりなのは間違いないから、しっかりと対応できるように練習からやっていくしかない」と彼自身も不安を垣間見せていた。実際、この時点ではまだまだ体も重く、ゴール前での鋭さも影を潜めたまま。2列目の中では宇佐美貴史、本田圭佑、原口元気より序列的に下と見られていた。

 そんな中、5月30日の親善試合・ガーナ戦(0−2)では後半の頭から45分間のプレー時間を与えられたが、得点に絡む迫力と創造性を示したのは、登場から10分間のみ。その後はトーンダウンしてしまい、最終登録メンバーへの滑り込みもギリギリといった印象だった。

 それでも、西野朗監督から大きな信頼を寄せられ、23人のリストに名を連ねたことで、香川自身は少なからず安堵(あんど)感を覚えたに違いない。「あとは前に進むだけ」という覚悟が、ゼーフェルト合宿に入ってからは見て取れるようになってきた。この時期から笑顔が増え、仲の良い長友佑都を自分からいじるなど、明るい雰囲気も醸し出すようになった。こうした立ち居振る舞いは、W杯初参戦だった4年前とは明らかに異なるものだ。

 事前合宿中には、早川直樹コンディショニングコーチの指示で心肺機能などの計測が何度か行われ、フィジカル状態が上がり切っていなかった香川には、けが明けの乾貴士、岡崎慎司とともに居残りランニングなどの補強メニューが課せられた。それを精力的にこなし、全体練習でも可能な限りの追い込みをかけるなど、彼は本来の輝きを取り戻すことに全力を注いだ。その努力が奏功し、本番前の最終テストと位置付けられたパラグアイ戦で完全復活を印象付けることができた。

 この試合で香川は4カ月ぶりに90分間プレーした。かつてセレッソ大阪でコンビを組んだ乾の2ゴールをお膳立てし、自らも後半ロスタイムに喉から手が出るほど欲しかったダメ押し点をゲットした。これは代表落選直前の昨年10月、ハイチ戦以来の得点だった。ドルトムントで得点を量産していた10〜12年のように、香川という選手は、点を取れている時は心身共に乗ってくる。まさにそのタイミングでW杯本番を迎えたのだから、理想的だというほかない。彼のロシアに懸ける強い意気込みが、この状況を作り出したと言ってもいいだろう。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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