【新日本プロレス】S・S・マシンに聖地のファンが大拍手 昭和プロレスの象徴的存在がリングに別れ

高木裕美

マシン軍団とLIJが5対5で激突

「スーパー・ストロング・マシン引退記念試合」でマシン軍が集結! 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 19日の新日本プロレス「共闘ことばRPG コトダマン Presents KIZUNA ROAD 2018」東京・後楽園ホール大会では、スーパー・ストロング・マシン引退セレモニーなどが行われ、1569人を動員した。

 メインイベントの「スーパー・ストロング・マシン引退記念試合」では、スーパー・ストロング・マシンがS・S・マシン・エース、S・S・マシン・バッファロー、S・S・マシン・ジャスティス、S・S・マシン・ドン、S・S・マシン・No.69 という“正体不明”の5人のマスクマンを率い、マシン軍団を再結成。ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)の内藤哲也&EVIL&SANADA&BUSHI&高橋ヒロム組と対戦した。

 後にマシンとなる青年は、1978年5月に新日本に入門。カナダ・カルガリーでの海外遠征を経て、84年、ストロングマシンの名で、将軍KYワカマツ率いるマシン軍団の一員として凱旋し、9.7福岡スポーツセンターのメインでアントニオ猪木と一騎討ちを行った。翌85年5.17熊本県立総合体育館大会で藤波辰巳(辰爾)から「おまえ、平田だろ!」と正体を明かされ、マスクを脱ぎ捨てて激怒。マシン軍団を脱退し、S・S・マシンに改名した。

 その後も、ヒロ斎藤、高野俊二との「カルガリー・ハリケーンズ」、ジョージ高野との「烈風隊」、ヒロ斎藤、後藤達俊、保永昇男との「ブロンド・アウトローズ(レイジング・スタッフ)」、星野勘太郎総裁率いる「魔界倶楽部」、リストラ危機レスラーが集結した「ラブマシンズ」、永田裕志、井上亘、平澤光秀との「青義軍」など、数多くのユニットに参加。IWGPタッグ王座も3度(うち1回は素顔の平田淳嗣で)戴冠しているが、94年10.30東京・両国国技館で行われた「SGタッグリーグ」決勝戦では、パートナーの蝶野正洋と仲間割れし、自らマスクを脱いで投げつけた途端、客席からは大「平田」コールが発生。武藤敬司&馳浩組に敗戦後、ファンに対し「しょっぱい試合ですみません」と謝罪をしたが、これがまたプロレス史に残る名台詞となった。

 なお、楳図かずおの漫画「笑い仮面」をモチーフにしたマスクは、桜庭和志が「PRIDE」出場時にかぶって入場したことで、幅広い層に認知されており、このマスクをかぶった「マシン軍団」は、その後も増殖を続けている。

 マシン自身は、井上亘の引退記念試合となった2014年4.2後楽園大会での6人タッグ戦を最後に試合を行っておらず、新日本道場で練習生のコーチを務めていたが、今年1月、新日本との契約が切れたこと、そして、私生活での大きな出来事がきっかけで、4月12日に選手としての引退を正式に表明した。

セレモニーには魔界倶楽部も駆けつける

セコンドとしてついたS・S・マシンが内藤にラリアット一閃! 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 引退記念試合では、まず先にLIJが入場。BUSHIもマシン仕様のオーバーマスク姿。一方、田口隆祐が召集した「マシン軍団」が色とりどりのマスク&コスチュームで登場すると、拡声器を持ち、赤い地下足袋を履いた将軍KYワカマツに率いられ、スーツ姿のマシンが登場。マシン軍団が円陣を組むと、LIJも5人でグータッチをかわす。

 ピンクの“逸材”エースは、開始早々エアギター。黒の“野人”ドンは内藤にボディースラム。赤の“猛牛”バッファローはモンゴリアンチョップ。LIJは一斉にマスクはぎを狙うが、マシン軍団は素顔を死守する。

 青の“青義”ジャスティスはSANADAにエクスプロイダー。5vs.5のブレーンバスター合戦ではマシン軍団が投げ勝つと、場内からは大「ゴーマシンゴー」コールが発生。ジャスティスがEVILを腕固めにとらえると、マスクマンにも関わらず、客席からは謎の「白目」コールが起こる。緑の“司令塔”No.69はBUSHIにヒップアタックを狙うもかわされ、逆にLIJの5人合体キックのエジキに。だが、エースがBUSHIにDDT、バッファローがダイビングヘッドバットを決めると、ドンはヒロムをアルゼンチンバックブリーカーで抱え上げ、そのまま場外の内藤めがけて投げ捨てる。そこで、ついに本物のマシンが、内藤にラリアット一閃。BUSHIに対し、エース、ドンのセントーンからNo.69が魔神風車固めとマシンの得意技メドレーで繋いで、勝利をつかんだ。

 試合後の引退セレモニーでは、将軍KYワカマツ、ヒロ斎藤、垣原賢人に続き、筑前りょう太(魔界2号)、村上和成、柴田勝頼(魔界4号)も駆けつけ、星野総裁の遺影を持って全員で「ビッシビシいくぞ」ポーズ。また、井上亘、永田裕志の「青義軍」は3人で敬礼ポーズ。真壁刀義ら新日本本隊も偉大なる大先輩を取り囲み、感謝の気持ちを伝えた。

引退を決めたきっかけも告白

引退セレモニーでは、リングを去ると決めたきっかけを告白 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 マイクを握ったマシンは、「1978年、昭和53年に、ある青年が新日本に入門しました。あれから40年。その青年は数年後に海外武者修行に行き、行方をくらましました。そしてある年の後楽園大会に、謎のマスクマンが出現しました。私です。約34年前の話です。当時としてはかなり奇抜なデザインのマスクとコスチューム。マスコミから批判もされました。しかし、リング上ではストロングスタイルを貫き続けた。それが、私が40年間プロレスを続けられた一番の宝物です」と過去を振り返りつつ、これまで所属してきたユニットについては「全部の軍団が、私のプロレスのやりがいを起こさせてくれるような楽しいユニットでした」と感謝。

 古傷の悪化により、引退という「ケジメ」をつけたことについて「私のプロレス人生にまったく悔いはありません。やりきったという感じです」と未練を断ち切り、「プロレス以外のことは何も考えられないので、ちょっと時間がかかるかもしれませんけど、第二の人生の目標を早く見つけたいと思っております」と、これから先の未来に視線を向けた。

 引退の10カウントゴングの後、テーマ曲と観客のコールを止め、もう一度マイクを握ったマシンは、今年1月25日に、28年間連れ添った最愛の妻マサミさんががんのために亡くなっていたことを初めて告白。「この場を借りて天国の妻に感謝の気持ちを伝え、私のあいさつとしたい」とマイクを置き、地声で「マサミー、ありがとう」と天に向かって呼びかけると、場内からは大きな拍手が起こった。

 バックステージでも、今まで関わってきた人々への感謝の気持ちを伝えたマシンは、40年間のプロレス人生でもっとも印象に残った試合について「全部が私の中の思い出。どれかひとつチョイスはできない。しいていえば、アントニオ猪木さんとのデビュー戦ぐらいかな」と、マシンとしての初陣をセレクト。「引退を決意した理由のひとつが妻の死だった。(新日本との)契約が終わる3日前に妻を亡くして、精神的にかなり落ち込んだ。それを吹っ切るためにも、キッパリと気持ちを切り替えて、次の人生を生きたい。そういう思いで決断しました。マシンは以上で消えます。ありがとうございました」と、現役生活に別れを告げた。

 昭和のリアルタイム世代にはさまざまな衝撃を与え、平成の若いファンには「おまえ○○だろ」「しょっぱい○○ですみません」と、今なおネタにされる明言を残したマシン。混沌とした昭和プロレスの象徴的存在であり、数多くのファンやレスラーに慕われていたマシンが、正体は自分からは明かさないまま、リングを去った。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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