メキシコが演じた歴史的なアップセット  日々是世界杯2018(6月17日)

宇都宮徹壱

FIFAアンセムが流れないロシア大会

選手入場の前にピッチ上に現れる巨大バナー。こうした演出はユーロで見られたものであった 【宇都宮徹壱】

 ワールドカップ(W杯)4日目。この日はグループEとグループFの合計3試合が行われる。16時(現地時間、以下同)からサマラでコスタリカ対セルビア。18時からモスクワでドイツ対メキシコ。そして21時からロストフ・ナ・ドヌでブラジル対スイス。前回王者のドイツとサッカー王国のブラジルが登場したことで、いよいよW杯らしくなってきたのはうれしい限り。だが本題に入る前に、個人的に気になっていたことを、ここに記すことにしたい。それは選手入場をはじめとする、さまざまな演出に関してである。

 すでにお気づきの方もいると思うが、今大会では選手入場の際、おなじみのFIFA(国際サッカー連盟)アンセムが流れていない。代わりに使用されているのが、米国の人気ロックバンド、ザ・ホワイト・ストライプスの『セブン・ネイション・アーミー(Seven Nation Army)』である。最初にこの曲をチャントに採用したとされるのは、クラブ・ブルージュ(ベルギー)のサポーター。やがてこのメロディーはイタリアにも伝わり、2006年のW杯ドイツ大会で優勝したイタリア代表の祝賀セレモニーでも流された。

 それから2年後、ついにユーロ(欧州選手権)08から選手入場のBGMに採用されるに至った。そして今大会の演出も、いたるところでユーロの影響を見て取ることができる。試合前に両チームの「ご当地ソング」が流され、選手入場の前には大会ロゴと国旗を模した巨大なバナーがピッチいっぱいに広げられる(2年前のユーロでは国旗ではなく、巨大なユニホームのバナーだった)。ついでに言えば、キックオフまでのカウントダウンもユーロと同じ。何やらW杯ではなく、ユーロを見ているような気分になってしまう。ではなぜ、W杯にユーロの演出が流用されているのだろうか。

 可能性として考えられるのが、UEFA(欧州サッカー連盟)事務局長を出自とするジャンニ・インファンティーノ会長の意向が影響していることだ。そして(あくまでうがった見方だが)、スキャンダルにまみれたFIFA(そしてW杯)のイメージを刷新したいという思いが、あるいは現会長にあったのかもしれない。そんなことを考えながら、モスクワのルジニキ・スタジアムの記者席で選手入場を待つ。この日、私が取材するのは、グループFのドイツ対メキシコ。21世紀のすべてのW杯で、ベスト4以上の成績を残している前者。一方の後者はラウンド16の常連だが、1986年の自国開催を最後にその壁を突き破れずにいる。やがて『セブン・ネーション・アーミー』の曲とともに、両チームの選手が姿を現した。

『セブン・ネーション・アーミー』を聞きながら

試合前、にぎやかに行進するメキシコのサポーター。今大会こそベスト8の壁を突き破れるか 【宇都宮徹壱】

 前半は、さながらプロレスの技のかけ合いのように、両者とも積極的にシュートを打つ展開が続く。どちらが先制してもおかしくない状況の中、均衡を破ったのは意外にもメキシコだった。前半35分、カウンターを起点にカルロス・ベラとのパス交換からハビエル・エルナンデスがドリブルで持ち上がり、左サイドのイルビング・ロサーノにラストパス。22歳の新鋭は、鋭い切り返しで自らコースを作ると、迷うことなく右足を振り抜いてゴール左隅を貫いた。その直後の39分、ドイツはFKのチャンスを得ると、トニ・クロースがゴール右上にシュートを放つ。しかし、メキシコの守護神ギジェルモ・オチョアがグローブの指先で触ってクロスバーに当たりゴールならず。前半はメキシコの1点リードで終了する。

 前半の派手な打ち合いから一転、後半はドイツがボールを保持しながらチャンスを作り、対するメキシコは組織的な守備でこれを弾き返すという展開が続いた。興味深かったのが、両チームのベンチワーク。ドイツは後半15分にボランチのサミ・ケディラ、そして34分にDFのマルビン・プラッテンハルトを下げて、FWマルコ・ロイスとマリオ・ゴメスを投入。かなり前掛かりな陣容で得点を目指した。対するメキシコは、後半29分にラファエル・マルケスが登場。これが5大会目の出場となる、39歳のベテランDFがピッチに送り込まれたことで、メキシコのディフェンスラインに精神的な落ち着きがもたらされる。

 残り時間が10分となったあたりから、ルジニキのスタンドは異様な空気に包まれた。あのドイツが、グループリーグ初戦で負ける? もしそうなれば、82年のスペイン大会以来の珍事だ。しかもメキシコは、これまでW杯で一度もドイツに勝利していない。メキシコのサポーターがざわつくのも無理はなかった。FIFAの公式記録によれば、この試合でドイツは25本ものシュートを放っている(メキシコは12本)。ポゼッションも6:4でドイツ。しかし、それでもメキシコの守備は崩れない。それどころか、手薄なドイツの守備に対して果敢にカウンターを仕掛けてくる。結局、アディショナルタイム3分が過ぎても、スコアは変わらず。メキシコが前回王者に歴史的なアップセットを演じた。

 取材を終えての帰り道。試合終了からずいぶん経っているというのに、多くのメキシコサポーターがスタジアムの周りに残っていた。そんな彼らが盛んに口ずさんでいたのが、あの『セブン・ネーション・アーミー』。歌詞がスペイン語に換えられていたので、どんな内容なのかは分からない。が、それでも歌っている表情から、実に誇らしげな内容に感じられた。16日のアルゼンチンに続き、またしても前回大会のファイナリストが不覚を取る形となった。だが、それ以上に評価されるべきは、強大な相手に挑んだアイスランドやメキシコの戦いに迷いがなく、自信を持ってぶつかっていたことである。何やら重たい宿題をもらったような気分になりながら、いよいよ日本が初戦を戦うサランスクに向かう。
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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