「他人事とは思えない」開幕戦 日々是世界杯2018(6月14日)

宇都宮徹壱

昨年10月以降、勝利のないホスト国

ルジニキスタジアムにて、レーニン像の前で自撮りするサポーター。いよいよW杯が開幕した! 【宇都宮徹壱】

 ついにワールドカップ(W杯)当日を迎えた。この日はモスクワのルジニキスタジアムで、開催国ロシアとサウジアラビアによる開幕戦が行われる。モスクワの天候は晴れ、気温は17度。観戦環境としては最適だ。しかし一方で「このカードで果たして盛り上がるのだろうか?」という一抹の不安も拭えない。6月17日付のFIFAランキングでは、ロシアが70位でサウジが67位。今大会の出場国で言えば、32位と31位による底辺対決である。加えて地元ロシアのサポーターは、(一部には過激な者もいるが)一般的にはおとなしく、サウジのサポーターが大挙して現地を訪れるとも思えない。祭典の賑やかしを担っているのは、ペルーやコロンビアやメキシコといった中南米のサポーターたちであった。

 昨年、コンフェデレーションズカップを取材してみて、「ロシアでのW杯は大きな不安材料もなく楽しめるだろう」という確信はあった。大会に反対するデモが頻発した前回大会のブラジル、そして治安やインフラ面で不安を残していた前々回の南アフリカに比べると、はるかにストレスの少ない大会になるのは間違いない。唯一、不確定要素があるとすれば、それはロシア代表である。どんな大会でも、開催国がグループリーグ敗退となれば、大会の盛り上がりは望むべくもない。2010年のW杯では、南アフリカが武運つたなく3試合で大会を去ったが、ガーナがベスト8に進出して「アフリカの大会」の面目を保った。しかし今大会は、ロシアの頑張りに期待するしかない。

 赤の広場付近でサポーターたちの賑わいを撮影してから、会場のルジニキスタジアムにキックオフ2時間前に到着。巨大なレーニン像の周りは、さまざまな国からやってきたサポーターたちで大いに賑わっていた。「世界革命」を夢見ていたウラジーミル・レーニンは、W杯を見ることなく1924年に天に召されたが、この光景を目の当たりにしたら何を思うだろうか。ルジニキはかつて「レーニン・スタジアム」と呼ばれ、80年にはモスクワ五輪のメーン会場にもなった。当然、陸上トラックもあったわけだが、今回のW杯に向けて約8万人収容の球技専用スタジアムに改修された。今大会の決勝の舞台もまた、ここルジニキである。

 開幕セレモニーのあと、国家元首であるウラジーミル・プーチン大統領、そしてFIFAのジャンニ・インファンティーノ会長のあいさつに続いて、18時に開幕を告げるホイッスルが鳴り響く。両チームのフォーメーションを確認して「おや?」と思ったのが、これまでずっと3バックで戦ってきたロシアが4バックになっていたことだ。昨年10月7日の韓国戦で白星(4−2)を挙げて以降、7試合連続で勝利なし。日本よりもはるかに深刻な状況を、ホスト国は抱えていたのである。このあと、エジプト、ウルグアイと対戦することを考えるならば、このサウジ戦は「絶対に負けられない戦い」。そんな重要なゲームに、あえてシステム変更で臨むロシアの賭けは、決して他人事とは思えなかった。

ロシアが見せた「弱者ゆえの大胆さ」

試合前の選手紹介では、両チームのシステムが映し出される。この日のロシアは意外にも4バック 【宇都宮徹壱】

 しかし先制したのは、そのロシアだった。前半12分、CKを起点に、アレクサンドル・ゴロビンが左サイドからクロスを供給。これをペナルティーエリア内で待ち構えていたユーリ・ガジンスキーが頭で合わせてネットを揺らす。しかし前半24分、アラン・ジャゴエフが負傷で無念の途中交代。代わってピッチに入ったのは、数少ない国外組(ビジャレアル所属)のデニス・チェリシェフであった。結果として、この交代が功を奏した。前半43分、右サイドからチェリシェフの足元にボールが渡ると、巧みなトラップから相手DF2人を一瞬でかわして追加点を挙げた。

 前半、ロシアが2点リードしたことで、少し安堵(あんど)している自分に気がついた。このままホスト国が勝利してくれれば、大会はさらに熱を帯びることだろう。しかし一方で、アジアを代表するサウジのことも気になる。ポゼッションでは上回っているものの、「急造」とは思えないロシアの堅い守りを崩すことができずにいるからだ。そうこうするうちに後半26分、ロシアが3点目を挙げる。ゴロビンがペナルティーエリア右からクロスを放ち、これを途中出場のアルテム・ジュバが相手マークを外しながらヘディングでネットを揺さぶる。ルジニキのスタンドには、早くも楽勝ムードが漂い始めた。

 勝利を確信した地元サポーターが、帰り支度を始めたゲーム終盤も、ロシアが攻撃の手を緩めることはなかった。アディショナルタイム1分、チェリシェフが自らドリブルで持ち込んでから、山なりのシュートを決めて4点目。さらにその3分後には、ここまで2アシストのゴロビンが右足で直接FKを突き刺した。ファイナルスコア、5−0。開催国の勝利は確かにうれしいが、アジア予選で日本と好勝負を演じたサウジが、なすすべもなく敗れたこともまた、決して他人事とは思えない。サウジは昨年11月に、エドガルド・バウサからフアン・アントニオ・ピッツィに監督が代わったばかり。前週にはドイツ相手に惜しい試合(1−2)を見せていたが、この時に完全に手の内を読まれていたのかもしれない。

 ロシアのシステム変更の意図については、今後の戦いを見ながら考察する必要がありそうだ。切羽詰まっての打開策がたまたま当ったのか、それとも本大会に向けたオプションとしてスタニスラフ・チェルチェソフ監督が密かに温存していたのか。いずれにせよ、今大会のロシアの「弱者ゆえの大胆さ」は、日本にとって参考になる部分があるのかもしれない。もっとも試合後のモスクワの街は、何事もなかったかのように静かだ。地下鉄で大騒ぎをするファンもいなければ、派手にクラクションを鳴らす車も見かけない。開幕戦はホスト国の勝利に終わったが、スタジアムを一歩出れば、モスクワはまだまだ静かだ。
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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