WBCから1年、中日・岡田の復活ロード 手術80針に涙も「この左手でできることを」

週刊ベースボールONLINE

復帰登板は抹消からちょうど1年後

 2017年、WBCオーストラリア戦での大仕事は記憶に新しいのではないか。しかし、世界を経験し、大きく成長して名古屋に戻った中日・岡田俊哉に待っていたのは、左手血行障害との闘い。シーズン中に手術を行い、先の見えないリハビリの末、ちょうど1年ぶりに1軍マウンドへ。完全復活へ確かな一歩を踏み出した。

 WBCでは正捕手を務めた小林誠司(巨人)とのやりとり、その後の危機脱出などでその名を全国に知らしめた岡田だったが、WBC後、左手血行障害の手術を受け、約1年間、1軍の舞台から遠ざかることとなる。復帰登板は5月15日の広島戦(ナゴヤドーム)。奇しくも1年前、登録を抹消されたのと同じ日であった。

2番手として登板したオーストラリア戦で制球を乱すも、併殺打で切り抜けた岡田(右)と捕手小林 【写真:BBM】

 まさか1年前に登録を抹消されたのと同じ日に復帰登板が巡ってくるとは、なかなか運命的でしたね。

 先発の(ライデル・)マルティネスが6対3と3点リードの6回途中、無死二、三塁とピンチを作った場面での登板となりましたが、ブルペンで準備をしながら「行くならいま行きたい」と思っていたので、声が掛かったときは一気に盛り上がりました。こういう場面での登板は、逃げ場がないというか、余計なことを考えなくて済むので。リードもありますし、2点あげてもいいから3つアウトを取ろうと、気持ち的にも余裕がありました。

 先頭の松山(竜平)さんをファーストゴロ(※この間に1点献上)、野間(峻祥)さんにはセカンドゴロを打たせて2つアウトを取ったときに、「今日は“ビギナーズ・ラック”でいけそうだな」と思ったのを覚えています。最後の會澤(翼)さんを三振。ファンの方の温かい声援が後押ししてくれて本当に感謝しています。

 200試合以上もリリーフで投げてきましたが、さすがに復帰戦は緊張するだろうなと予想していました。1年振りだし、地に足がつかずにフワフワする感覚を想像していたんですが、マウンドに上がると意外にもバッターに集中する自分がいて驚きました。

 復帰戦後は1年間のブランクなどなかったように、普通にブルペンで過ごしています。ただ、自分のパフォーマンスは物足りないことだらけ。投げることはできていますけど、不甲斐ない気持ちでいっぱいです。

違和感はWBC球のせいと考えていた

 これまで肩、ヒジはもちろん、体にメスを入れたことはない。投手にとって生命線である左手の手術は、引退も覚悟の上での決断だった。

 血行障害の症状は、15年あたりから出始めていました。ただ、当時はすごく軽い症状で、たまに指先に違和感がある程度。病院に行って、『血行障害』というのは分かっていたのですが、普通に投げられているし、そんなに深くは考えていませんでした。

 症状としては、最初は感覚が悪いなというくらいで、ボールが指に掛かっていないのかなと。初めは人さし指の先にその違和感が出て、次第に動かしているのか、動かしていないのか分からない状態に。皮一枚かぶっているような、そんな感覚でした。16年には手が白くなったり、常に指先が冷たいなど症状が進んでいって、このころから中指にも同じ症状が出始めていました。

 16年は57試合の登板でしたが、使ってもらえる場面など、自分の中でも納得のいくシーズン。秋には侍ジャパンの強化試合(メキシコ戦、オランダ戦)にも選ばれて、いつもどおり、この1年やってきたことを代表でも出すことができました。

 これで新たな目標の1つに17年WBCへの出場が加わって、その17年はWBCに向けて少し早めに体を動かしつつ大会公式球でキャッチボールなどしていたのですが、今考えると、このころにはかなりの違和感があったように思います。「何か変な感じだな」と。

 ただ、日本のボールではなく、メジャー仕様のボールでしたから、滑るのもそのせいだと考えていました。WBC本番を終えてチームに合流したときも、ここから日本のボールに変わるので「またいつもどおりに投げられる」と思っていたのですが……。

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