中田浩二が振り返るW杯、ロシアへの提言 「サブ組が頑張って一体感が生まれた」

飯尾篤史

「自分のすべきことに迷いはなかった」

中田浩二に02年のW杯日韓大会を振り返ってもらった 【写真:ロイター/アフロ】

 列島全体がサッカー熱に浮かされた2002年のワールドカップ(W杯)日韓大会を思い起こすとき、中田浩二の心には2つの悔いが湧き上がる。ひとつは、運良く致命傷にはならなかったが、もうひとつは取り返しのつかない傷となった。

 ひとつ目は、初戦のベルギー戦後半にやってきた。

「あそこでもっとコミュニケーションを取っていれば……。それは、今思うと悔いがありますね……」

 フランス人指揮官、フィリップ・トルシエに率いられた日本代表は6月4日、自国開催のW杯初戦を迎えた。その栄えあるスターティングメンバーに、中田は名を連ねた。ポジションはいつもどおり、3バックの左である。

 チームは万全の状態で、この日を迎えたわけではなかった。5月の欧州遠征ではノルウェーに0−3の完敗を喫し、壮行試合のスウェーデン戦も1−1と引き分けた。中田自身も初めてのW杯だったから、「正直、不安はすごくあった」という。

 一方で、トルシエの戦術はチームに完全に浸透していたから、「こうやって戦っていく」というスタイルにブレはなかった。

「ディフェンスだけを見ても、“フラット3”をベースに、人を見るよりもスペースを見る守り方で、ラインを高く設定して主体的に駆け引きを仕掛けていくという、自分のすべきことに迷いはなかった。だから、チームとしてまとまっていて、目指すべきものははっきりしていましたね」

 こうして中田は4年間積み上げてきたものを支えに、ベルギー戦のピッチに立った。

失点の直後、3バックで話し合い

初戦のベルギー戦、押し上げたディフェンスラインのギャップを突かれ先制を許した 【写真:アフロスポーツ】

 前半は互いに様子を探るような、膠着(こうちゃく)した展開だった。

「簡単に勝てる相手とは思っていなかったし、我慢比べだと思っていた。チャンスは作れなかったけれど、ベルギーにチャンスも与えなかった。徐々に手応えをつかみながら、ハーフタイムを迎えたんです」

 日本を警戒してベルギーは予想以上に自陣にこもってきた。それに対して日本も中田が言うように、慎重にゲームを進めた。

 だが、その無風状態は、まさに嵐の前の静けさだった。後半、ゲームはジェットコースターのように動き出す。

 後半12分、ベルギーのFKのこぼれ球を拾われてロビングボールを送られ、マルク・ビルモッツにバイシクルキックで決められる。押し上げたディフェンスラインのギャップを突かれた失点だった。

 日本の守備陣は、この場面に限らず、ベルギーが日本の積極的なラインコントロールを研究してきていることを、感じ取っていた。

「先制点が勝負を分けると思っていたから、やられた瞬間は、あーって思いましたね。やっぱりちゃんと分析してきているんだなって。失点の直後、マツさん(松田直樹)、(森岡)隆三さんと『無理して上げるのは控えよう』って話したのを覚えています」

逆転後に起きた思わぬアクシデント

鈴木隆行の同点ゴールについて、「本当に勇気になった」と語る 【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 だが、痛恨の失点からわずか2分後、中田のボール奪取から日本の反撃が始まった。

 中田が突いたボールを小野伸二が拾い、相手DFの背後にロングフィードを送る。そこに、鈴木隆行が走り込んでくる。DFと入れ替わるようにして抜け出すと、懸命に伸ばした右足のつま先で触ったボールが、ベルギーゴールに転がっていった。

「ベルギー、やっぱり強いなと思っていたところで、すぐに返してくれた。あのゴールは本当に勇気になりましたね」

 さらに、8分後、柳沢敦のパスを受けた稲本潤一がその勢いのままゴール前でDFをかわして左足を振り抜くと、ボールはサイドネットに吸い込まれていく。

「あのときのイナは本当にキレキレでしたね。正直、これはいけると思いましたよ。あとは、どう勝つか。どうマネジメントして終わらせるかだなって」

 だが、逆転に成功した日本にアクシデントが襲いかかる。“フラット3”の統率者である森岡隆三が左足を傷めてプレー続行不可能となり、宮本恒靖と交代することになったのだ。

 試合中にセンターバックが負傷退場するのは、非常事態である。チーム全体に、少なくとも“フラット3”のメンバーには、動揺が走ってもおかしくない。しかし、中田が慌てることも、守備陣に混乱が起きることもなかったという。

「ツネさんともそれまでに何度も一緒にプレーしていましたからね。ツネさんは教科書通りのラインコントロールをするタイプ。隆三さんは臨機応変にラインコントロールをするタイプ。2人の違いは体に染み込んでいたから不安はなかった。ただ、あまりに緊急事態だったから、ベルギーが研究してきているから、ラインを上げるのを控えようっていう話をツネさんとできなかった。そこまで気が回らなかったんです」

 中田の脳裏には今でも鮮明に焼き付いているという。再びオフサイドトラップを掻いくぐられる瞬間が――。

再び裏を取られて決断「無理して上げるのはやめよう」

ベルギー戦後は、選手たちの判断で、無理にラインを上げるのをやめた 【写真は共同】

 後半30分、こぼれ球を拾われてゴール前に送り込まれ、日本の守備陣がラインを上げるのを狙っていたかのように、ベルギーの選手が飛び出していく。

「僕は左サイドから中央を見ているから、ツネさんが上げた瞬間、右サイドからベルギーの選手が飛び出していくのが見えたんです。あ、やばい。これはオフサイドを取れないって。追いかけていったんですけれど、間に合わなかった」

 たまらず飛び出したGK楢崎正剛もなすすべなく、ペーター・ファン・デル・ヘイデンにループシュートを決められてしまう。

 このシーンで宮本は、ラインを上げたあと、リスクマネジメントのためにカバーに戻ろうとしている。だが、相手FWに阻まれて戻れなかった。失点の背景には、こうしたベルギーのしたたかさもあった。

 試合は2−2のままタイムアップ。つかみかけていたW杯初勝利、勝点3は手のひらからこぼれ落ちていった。日本は勝ち点1を獲得し、この歴史的勝ち点がグループステージ突破への足がかりとなるのだが、もし、グループステージ敗退を喫していたら、悔やんでも悔やみ切れないミスになっていただろう。

「とにかく試合が終わってから、ディフェンスの選手たちで話しました。失点の場面を振り返って、明らかに研究されていたよね。この先もどのチームも研究していると思うから、無理して上げるのはやめようって」

 宿舎の露天風呂に入りながら話し合い、練習場でも話し合った。トルシエが「上げろ、上げろ」と言っても、試合中は自分たちの判断でラインをコントロールする、ということを確認し合った。

「でもね、“フラット3”を捨てたとか、そういう話じゃないんですよ。これまで積み重ねてきたものがあって、それに状況に応じた微修正を加えたということなんです」

開催国として感じていたプレッシャー

決勝トーナメント進出を果たし、中田は喜ぶと同時に「ホッとした」という 【写真は共同】

 少し深めのライン設定で臨んだ第2戦のロシア戦。やや劣勢ながら積極的にプレスを掛けて互角に渡り合っていた後半6分、ハイライトが訪れる。その場面は、中田の左足から始まった。中田の入れたグラウンダーのクロスを柳沢がワンタッチで落とす。それを稲本が蹴り込んで、日本が先制点を奪うのだ。

「それまで何度か放り込んでいるんですけれど、跳ね返されていた。どうしようかと思ったときにヤナギさんが見えて、ヤナギさん、なんとかしてくれ、という感じでグラウンダーのクロスを入れたんです。あれはヤナギさんの落としが絶妙でしたね」

 このゴールが決勝点となり、日本はW杯初勝利を成し遂げる。さらにチュニジアとの第3戦を2−0と制した日本は2勝1分け、堂々のグループ首位で決勝トーナメント進出を果たすのだ。

 喜びを噛みしめた中田だったが、それと同時に「ホッとした」という。開催国がグループステージで姿を消したことは、ただの一度もなかった。このサッカー熱に水をさすわけにはいかない。そんなプレッシャーを感じていたからだ。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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