ソフトバンク内川の飽くなき探究心 ゴールではない2000安打の先へ

田尻耕太郎

打率2割前半と苦しんだ4月

通算2000安打を達成したソフトバンク・内川聖一。その飽くなき探究心に迫った 【写真は共同】

 福岡ソフトバンクの内川聖一がプロ通算2000安打を達成した。5月9日、埼玉西武戦(メットライフドーム)の8回に武隈祥太からセンター前ヒットを放って、ついに金字塔を打ち立てた。

 しかし、4月は打率2割前半と苦しんだ。希代のバットマンに一体何が起きていたのか。

「今年は2000本という数字を自分では意識をしていないつもりだったけど、周りの人からの期待を感じる中で『スゴイことなんだ、やっぱり』と、どこかで考えるようになってしまった。自分の弱さですね」

 本来ならば、昨年のうちに達成していても不思議ではなかった。残り104本でシーズン開幕を迎えたが、後半戦に故障をしたこともあり昨季は79本にとどまった。

「昨年は(2000本まで)まだ遠いなという感じしかしなかった。でも、今年は現実的な数字。意識をしてしまった。その中で野球をやれたことは貴重な経験になったと思いますけどね」

 生みの苦しみを味わったが、あの野村克也氏が「プロ野球始まって以来の右の好打者」と絶賛する技術自体がさびついたわけでは全くない。今年8月に36歳を迎える年男だ。「昔は週7で焼肉にいけたけどもう週5かな」と笑い飛ばす。

「とはいっても、年齢を重ねていくと若いころのように回数で頑張ろうということはできなくなる。このトシになるとやっぱりきついんですよ(笑)。やりたい気持ちはあるけど、物事をトータルで考えるようになる。これやっちゃうと明日ダメだな、とか。そこは若い時とは違います」

 昨年は2度の故障に泣かされた。そのうちの1度目は6月、スイングをした際に首を痛めた。頸椎捻挫だった(2度目は7月に左手剥離骨折)。

「調子が悪くなったころでした。そんなものを取っ払ってしまえと、自分の持っている力でねじ伏せてやろうと力任せに振った結果、やってしまいました。それって違うなと気づかされた。自分がきつい時こそ、どのようにして自分の体をコントロールできるかが大切なんです」

いつも何かに「チャレンジ」

卓越した打撃技術に加え、常に何かにチャレンジしようとする内川の探究心が2000安打の金字塔につながった 【写真は共同】

 今季を迎える前のオフ、「走り方改革」に挑戦した。陸上の専門家である秋本真吾氏と個人コーチ契約を交わした。

「ランニングを見直すことで、バッティングや守備につながる部分がいっぱいあるんじゃないかと思ったんです。足を着地するときにお尻に力が入っていないとダメとか、大腰筋の強さがもっと必要だとか、前脛骨筋に強さがないと足を振り出すときにつま先が上げられないとか、多くのことを教えてもらいました。それを踏まえてバットを振ると、たしかに感覚も変わりました。守備でも構えた時の姿勢が随分楽になりました」

 内川はいつも、何かに「チャレンジ」をする。野球界以外のアスリートとの親交も積極的。大相撲の琴奨菊関とは家族ぐるみの付き合いだし、ラグビーの五郎丸歩とも数年来の友人。オフのテレビ収録で一緒になった浦和レッズの槙野智章ともすぐ意気投合した。

「どこかにヒントが落ちてるんじゃないかと、常に考えています。好奇心が旺盛なんだと思うんです。いろいろなものにアンテナ張っていないと、周りの人よりも遅れると思ってる。今でもそう。だからいろいろな人に会いたいし、話を聞いてみたい。野球界だけにとどまるのはもったいないです」

 たとえば今年、内川の足元を見て「おや?」と思ったファンもいるだろう。4月中旬から見慣れぬメーカーのスパイクを履いている。

 ジャガーズ創工株式会社。奈良県磯城郡に本社を置く会社で、すべてオーダーメイドでスパイクやグラブを製作している。今年3月、内川は自ら本社へ足を運びスパイクを注文した。同社のフェイスブックにその時の写真が掲載されているが、かなりの驚きだったことも伝わってきた。「以前に稲葉(篤紀)さんや新庄(剛志)さんが使用していたことを知っていたから」とさらりと言ったが、内川クラスの選手になれば電話一本で大手のメーカーがあらゆるスパイクを持って向こうから訪ねて来てくれるはずだ。

「そうかもしれません。だけど、子どものころって、自分で使いたいものを必死に考えて、それにたどり着くために自分で調べていたわけじゃないですか。プロ野球選手になったら違うというのは、僕は違和感があるなと思った」

現状維持は衰退している!?

 常に新しいもの、高みに近づくものを探している。ソフトバンクで同僚の和田毅も「ウッチーから『投げ方を教えてください』って言われたことがあるけど、野手でそんなことを言ってきたのは彼くらい」と話していたこともあった。

「現状維持しようと思ったらダメ。維持しているつもりでも、それは衰退しているんです」

 周りは2000安打を「通過点」と表現するが、内川自身にその感覚はない。

「そもそもゴールがないから」

 プロ野球人生とは頂上の見えない山のようなもの。しかし、内川は怖気(おじけ)づくどころか純粋な野球少年のように目を輝かせて、一歩、また一歩前へと踏み出していく。
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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