「問題があるとなぜ言ってくれなかった」 ハリルホジッチ前監督 解任後の会見

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解任後、口を閉ざしていたハリルホジッチ氏が会見を開いた 【スポーツナビ】

 前サッカー日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチ氏が27日、都内で会見を行った。ハリルホジッチ氏の解任は、9日に日本サッカー協会(JFA)田嶋幸三会長の会見で明らかになっていた。

 ハリルホジッチ氏は会見の冒頭で「日本で3年間、仕事をしてきたので、この地で話をさせてもらいたいと思った」と異例の会見に臨んだ経緯を説明。解任されてからの日々については「私の人生において一番つらいと言ってもいい時期を過ごしてきた」と語り、失望の念をあらわにした。

 解任に関して、「(田嶋幸三)会長にしても西野(朗)さん(前強化部長、現日本代表監督)も、『ハリル、問題がある』となぜ言ってくれなかったのか。一度として言われたことはなかった」とコメント。「真実はまだ見つかっていない。何人かの選手が不満を漏らしたという話は聞いている」と語る一方で、田嶋会長が説明したコミュニケーションと信頼が薄れたという点については「何の問題もなかった」との認識を示した。

3年前から、誰とも、特に選手とは何の問題もなかった

300人を超える報道陣が注目する中、ゆっくりと登壇したハリルホジッチ氏 【スポーツナビ】

登壇者:
ヴァイッド・ハリルホジッチ(前日本代表監督)

 皆さん、コンニチハ。まず、今日はお越しいただき、ありがとうございます。今回、初めて(解任された)4月7日以来、私の口から話をさせていただく機会となった。ここ日本で3年間、仕事をしてきたので、この地で話をさせてもらいたいと思った。私はこの日本という素晴らしい国を経験してきた。家族とともに大好きな日本は、伝統・歴史があり、文化、さまざまな習慣、いろいろな仕事のやり方、人に対する敬い、そうしたことをとても評価してきた。

 私は日本という素晴らしい国に来たのは観光客としてではなく、この手で日本サッカーに何かプラスアルファをもたらすことができるのではないかという気持ちで来た。私自身、日本をこのような形で去ることになるとは考えたこともなかった。考えつく限りの最悪の悪夢においても、このようなことを考えたことは一度としてなかった。私の志としては、日本でしっかりとした形で仕事をチームとともに終えたいという野望を持っていた。サポーターや日本中の人々にとって、素晴らしい日本チームがヒーローとして終わってほしいと思っていた。

 4月7日以来、私の人生において一番つらいと言ってもいい時期を過ごしてきた。人間として、深く失望した。スポーツの側面から考えると、私は日本へW杯の準備のためにやってきたのであり、何て残念だろうと思った。私は日本をしっかり予選通過をさせたのだ。会長から1人のスタッフとして言い渡されたことは、日本のサッカーを考えた時に、そこに何か欠けているものがあると思った。

 私自身、サッカーの世界で45年間仕事をしてきた。ハイレベルな中での45年間だ。監督という職業ははかないもので、どんな時も何が起こるか分からない。私自身、少しナイーブ、物事を知らなかったという点があったのかもしれないが、後悔はしていない。というのは、来日して行ったのは、日本が成功するためにしてきた仕事ばかりだったからだ。私に対して通告されたことに対しては大変失望したし、リスペクトがなかったように思う。私は3年間にわたり、日本代表チームのためにいろいろな仕事をしてきた。その3年間については、私は誇りをもって、責任者としてしっかり仕事をしてきたと考えている。

 私が最初の日に、JFA(日本サッカー協会)を訪れた時、「私のオフィスはどこにありますか?」と尋ねたところ、「あなたのオフィスはありませんよ」と。そこですぐにお願いした。「だったら、私のためにオフィスをしつらえてもらえませんか?」と。それから、アシスタントたちにもオフィスを与えてくれと。監督がオフィスをしつらえてくれというのは、日本のサッカーの歴史で初めてのようだった。

 私は毎日、オフィスに出勤した。代表チームのセレクションをするだけでなく、たとえばメディカルスタッフも毎日JFAにやって来て、みんなも出勤してくる。しかし、皆さんにはなじみがなかったようだ。その後は、みんなどのような仕事の割り振りをし、どのような仕事をやっていくかという組織立てを行っていった。つまり監督として何をやるか、コーチとして何をするか、メディカルスタッフとして何をするかということだ。

 毎日毎日、ミーティングをしたり、テクニカルスタッフとともに実際に選手の試合の視察にも行き、選手1人1人についての報告書を作っていった。メディカルスタッフはどの選手がどう故障しているかといった細かいデータをリポートとして上げていった。管理スタッフとともにコミュニケーションを取り、毎日毎日いろいろな作業を行ってきた。オフィスで仕事をすることもあれば、試合の現場に行って視察をすることもあった。それは国内組も海外組の試合も同じだ。

 毎週月曜日になると、すべてのスタッフとミーティングを持ち、テクニカルスタッフとともに50人ほどの選手、そしてGK5、6人について、1人1人の報告書を作り上げていった。メディカルリポートについては、故障した選手がいればすぐに連絡を取って、どういう状況なのか聞いてみたり、広報スタッフや、何か問題があれば管理部のスタッフと連絡を取ってきた。また、代表チームの合宿、遠征については、いつ合宿をスケジューリングするのか、どういう形でやっていくか、50人ほどのスタッフがかかわっていた。そのスタッフ1人1人にそれぞれの仕事があり、それを行っていた。彼らにも3年間、このような形で仕事をしてきてくれて、ありがとうと伝えたい。

 ありとあらゆる練習の場面において、遠征や移動においても、すべてがほぼ完璧にセッティングされていた。たとえば練習をしっかりと準備して、どういった計画でやるのか、そして公式試合、親善試合の準備・調整。私の人生において、ここまでみんながやる気で規律正しくやってくれるのを、見てきたことがなかった。練習の中身、選手の集中度、質の高さについても本当に素晴らしく、ビッグなブラボー、ビッグなメルシー(ありがとう)を伝えたい。

 3年前から、私は誰とも、特に選手とは何の問題もなかった。この3年間、国内組であろうと海外組であろうと、常に選手たちと連絡を取り合っていた。海外組の選手と何度、電話で話したことか。国内組も同じだ。こうして連絡を取り合うことをコンスタントに行ってきた。コーチそれぞれが、誰とどういう話をするのか、どのようなメッセージを伝えなければいけないかというタスクがあり、きっちりとやってきた。

 代表チームと一緒に合宿を行っている時も、公式試合をやっている時も、私は必ずオフィスをしつらえてもらい、選手たちに来てもらい、選手と話し合いができる場を作っておいた。私だけでなく、アシスタントたちと選手たちがいろいろと話し合うことで、調整・準備ができるようにした。よってGKコーチはGKの選手たちと、私のアシスタントコーチは誰々と連絡を取ると決まっていて、選手との連絡を行っていた。私はまた少し違った形で彼らと連絡を取っていた。皆さんがしっかりと証人になっていただけると思うが、この3年間、人前で誰か1人の選手を批判したことは一度としてなかった。いつも私が言っていたのは「悪いのは私」「批判するならハリルを批判してくれ」と言っていた。

 ただ、実際にピッチで選手と1対1で話す時は、またちょっと違っていた。私が何か言いたいと思う時には、面と向かって言うようにしていた。ストレートな物言いに慣れていない選手がいたかもしれない。しかし私にしてみれば、選手たち、このチームへの思い入れはとても強かった。皆さんもご存知のように、23人を呼んでチームを編成していても全員が試合に出られるわけではない。試合に出る選手たち、出ない選手たちがいる。それでうれしかったり、うれしくない選手がいるわけだが、それは日本だけでなくどこでも同じだ。(昨年8月、)まさに歴史的な勝利でオーストラリアに勝って、W杯予選通過をしたあの試合の後ですら、2人の選手が少しがっかりしていた。予選突破はしたが、試合に出なかったからだが、その前には何年も試合に出ていた。彼らが試合に出られなくて、そのことにがっかりしていること自体、私は悲しく思った。

いろいろな意味で成功してきたのがこの3年間だった

時に資料を用いながら、3年間の成果を語った 【スポーツナビ】

 個人的には、2カ月休みを1日も取らずにずっと働いてきた。もちろん、休みを取ろうと思えばいつでも取れる立場にはあったが、私が日本に来たのはチームを育てるためだったからだ。日本に来て、人々が私に頼んだのはW杯予選通過であり、それが終わったらいろいろやりましょうという話をしていた。そして、日本はW杯を首位で通過した。われわれのいたグループはとても厳しい組だった。皆さんの中には当たり前じゃないか、日本はいつも予選を通過してきたんだからという方もいるかもしれないが、そんな楽な話ではなかった。

 守備も攻撃もベストだった。われわれは歴史に残る試合をした。初戦を落として予選を通過するのは初めてだった。初めてオーストラリアに勝った。オーストラリアは全員、パニックに陥っていた。特に、「ヴァイッド、若い選手を起用するのか」と皆さんが話したときのパニックぶり。それにもかかわらず、素晴らしい勝利を勝ち取った。そして、疑問に思っていた人々に大丈夫かと思われていた選手たちが、そこで抜きん出た力を発揮してくれた。若い選手を呼んでおいていいのかと納得していない方もいたが。

 そして、(昨年3月に)UAEにも日本がアウェーで初めて勝った。もう1つ、歴史的な勝利が(16年6月の)対ブルガリア戦で、7−2で勝利した。ヨーロッパのチームにそれほど大差で勝つことは今までなかった。よって、いろいろな意味で成功してきたのがこの3年間だった。しかし、みんな満足できないという。しかし、私は満足以上のものがあった。本当にムズカシイという時だっただけに、これだけできたということで私は満足していた。このチーム、チームを率いる人々にとって、パフォーマンスという意味では厳しいものがあった。だからこそ私自身は、あの選手に代わる選手はいないかと探していたのだ。競争原理を取り入れる、もう少しベテランのお尻をたたいて、彼らが今まで以上に頑張ってくれるようにした。しかし、もちろん満足がいかないこともいろいろとあった。

 しかし、この3年間でしっかりと成功を手にして誰もが満足した。さあ、そして今度は第3ステージに入るわけで、それがW杯だ。私はW杯があるから就任した。海外遠征を2回行い、世界最高峰の国との試合をセットしたわけだ。まずは昨年11月(ブラジル、ベルギー戦)、そして今年3月(マリ、ウクライナ戦)の海外遠征、私の頭の中ではW杯に向けての調整だと思っていた。私は特に中盤とFWについて、いい解決策がないか探していた。W杯が要求してくるもの、W杯でしっかりとパフォーマンスが出せる者を探していた。今まで以上に選手が幅広い力をもってプレーできるようにと考えた。よって、試合結果のことはあまり頭になかった。

 対ブラジル戦について、ブラジルといえば世界最高のチームであるため、いい結果を出せるとは思っていなかった。あくまで試合によって経験を積ませることができればと考えていた。ブラジル戦、ベルギー戦、マリ戦、ウクライナ戦の結果は満足のいくものではなかったかもしれないが、そこからたくさんの教訓を引き出すことができた。

 たとえばブラジル戦にしても、後半に2回ゴールのシーンがあった(実際は1回、もう1回はオフサイド)。ここ数年間のいろいろな試合を見てほしい。ブラジルに対して2ゴールを決めたチームがどれだけあるか。特に前半の最初の20分はひどかった。ハーフタイムにロッカールームで、ハイレベルな相手に対してどうすればいいかという話をした。そして、試合後は選手たちを大いに褒めた。ベルギー戦はほぼ完璧と言える試合だった(0−1)。負けたとはいえ、ドローに、もしかしたら勝ってさえいた試合だったと思う。私としては、この試合の代表チームは組織力があって、自分たちのプレーで支配できていたということで満足していた。

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