巨人・杉内、再び陽のあたる場所へ 松坂との投げ合いを目標にもがく日々

週刊ベースボールONLINE

和田、村田…同世代に刺激

同世代に刺激を受けながら、持ち前の華麗な投球フォームを1軍のマウンドで再び披露できるか。正念場のシーズンが始まった 【写真=BBM】

 リハビリ中、いくつか心を動かされる出来事が起きた。いわゆる“松坂世代”の変化である。

 杉内が手術を受けた15年オフ、和田毅が古巣のソフトバンクに復帰した。当時は松坂大輔も在籍していた。

「いつか戻るのかなとは思っていた。やっぱり気にはなるし、ワッチ(和田)らしく頑張ってほしい」

 元同僚であり、同い年の同じ左腕。大卒の和田に対し、社会人出身の杉内のほうがプロ入りは一年早かったが、比較され続けた。もちろん不仲ではないが、かといって親密な関係でもない。プロとして同じ左投手として、いい緊張感を保ち、お互いを尊重し、実績、実力を認め合ってきた間柄だ。

 リハビリ組の生活は朝が中心。夕方までには練習を終え、都内の自宅に戻ると何気なくテレビをつける。「自分がこんな(長期のリハビリ)だから、野球を観たいとは思わない」とリモコンを野球に合わせることはあまりなかった。それでも、ふと、和田の投球を観ることがあった。

「一緒に戦ってきた仲間だし、観ていると自分も早く試合で投げたいって思う」

 マンネリ化しそうになる日々に、かつての戦友である和田は刺激をくれる。

 巨人にも同じような存在がいた。村田修一と實松一成だ。

 特に村田は同じ福岡出身で、偶然にも杉内と同じ11年オフに横浜(現横浜DeNA)から国内FA権を行使して巨人入り。「投打の大補強」としてチームの目玉となった。高校時代にともに日の丸を背負うなど、もともと知り合いだったが、チームメートになったことで意気投合。實松らとともに遠征先で食事を重ねた。九州男児同士、ハートは熱い。酒を酌み交わしながら「巨人1年生」として自分たちの未来を語り合ってきた。

 そんな村田が昨オフ、巨人を去った。チームの若返り方針、そして他球団への移籍を円滑に図るための自由契約とされたが、他の11球団から声はかからず。杉内は食事にも出かけ、定期的に連絡もとった。「最初は『どっか声かかるでしょ』って思ってた。まだまだできると思うし、シーズンでもかなり試合に出てたから」と感じていた。

 だが、時間が経つにつれ、状況は悪化。巨人だけでなく、若返りを図る方針の球団が多かったことも逆風になった。村田はBCリーグの栃木入り。實松は古巣の日本ハムに戻った(コーチ兼任)。

 杉内は「こういう結末に驚いたし、寂しい。でも、栃木で野球を続けていれば、シーズン中に他の球団から声がかかることもあると思う」。さらに「1軍で投げていないのに自分は球団に残してもらった。その意味をちゃんと理解して、恩返しをしないといけない」と気持ちを新たにした。

中日入り・松坂との再戦を目論む

 そして数カ月前、最大の刺激が加わった。世代の名前にも使われる松坂の中日入りだ。

 ソフトバンク退団後「どこに行くのかな。どうなるんだろう」と気にしていた。まさかの同一リーグ入りには、すぐに「投げ合える可能性がある」と受け取った。「松坂と投げ合う」ことが今年の大きな目標になった。

 鹿児島実高3年時の夏の甲子園2回戦で、横浜高のエースだった松坂と投げ合った。初戦の八戸工大一高相手にノーヒットノーランを達成していた杉内も、松坂には勝てなかった。

「悔しかった。同い年にすごい投手がいるのは前から分かっていたし、甲子園で対戦したら勝ちたいと思っていて、ずっとそれが練習のモチベーションにもなっていた」

 プロ入り後も杉内はソフトバンク、松坂は西武の一員として、しのぎを削った。今度は舞台をセ・リーグに移し、再戦を目論む。松坂は4月5日の巨人戦で移籍後初登板初先発を果たし、負け投手にはなったものの復活ロードを歩み始めている。

 目標の実現には、まずは杉内が1軍まではい上がらなくてはならない。股関節を痛めて以降、走り込みの量は減った。正確には患部への負担を減らすために「減らさざるを得なくなった」のである。

 下半身の強化にバイクトレを導入。土台作りに励むが、今までのように走り込みで鍛え上げた下半身とは感覚も違う。どうしても上体の力に頼りがちになる。それが肩への負担につながる。

 頭では理解しながら、模索を続ける日々。「せっかく18番をいただいたのに、1軍のマウンドで投げることができていない。エースナンバーを背負ってリハビリ生活なんて情けないよね」と本音も漏れる。遠投から次のステップとなるブルペン投球に移る日を信じ、若手選手に混じって土のグラウンドで汗をかく。

 中学生になった愛息も野球を楽しんでいる。昨年のある日「もう一度、東京ドームで投げているところが観たい」と言われた。これまでも球場には観戦に来ていた。12年のノーヒットノーランも生観戦していたが、まだ小さく「あまり覚えていない」と言われた。

「最初は突然、そんなことを言われてビックリした。今は息子も野球をやっているから、昔とは違って真剣に試合を見ることができるんだと思う。普段そんなこと言わないしね。何とかして、親として思いを叶えてあげたいよね」

 3月30日、プロ野球が開幕した。ソフトバンク時代に2度の開幕投手を務めた杉内は、この日も都心とは逆方向に車を走らせていた。

「自分が東京ドームのマウンドで投げるイメージは常に持っている。何としても復活して戦力になりたい」

 もう一度、陽の当たる場所に立ちたい。杉内がもがいている。

(文=福島定一)

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