センバツを大いに盛り上げた三重の躍進 28歳の若き指揮官も驚く戦いぶり

楊順行

ほとんどバントを用いない攻撃野球

優勝候補の大阪桐蔭と互角の戦いを演じた三重。惜しくも延長12回にサヨナラ負けを喫したが、主将・定本(右)を中心に今センバツを大いに盛り上げた 【写真は共同】

 大阪桐蔭(大阪)の藤原恭大は、三重(三重)の定本拓真の真っすぐ1本に絞っていた。

「ええピッチャー。球威が落ちませんし、フォークに苦しめられていた。根尾(昂)からは“なんとか点を取ってくれ”、西谷(浩一)監督には“考えすぎ。振っていけ”と言われて、吹っ切れました」

 左打席で意識したのは右から左の風のなか、引っ張りでは打球が飛ばないので、反対方向へ強い打球を打つことだけ。そして……そのとおり、定本の163球目の128キロ直球をたたくと、打球は左中間を真っ二つに切り裂いた。一塁走者の青地斗舞が本塁を駆け抜ける。初のタイブレーク突入寸前まで苦しんだ大阪桐蔭が、救援登板した根尾の8回4安打9三振無失点の好投、そして藤原のサヨナラ打で、優勝に王手をかけた。

 それにしても……三重の躍進は大会を大いに盛り上げた。この試合も、3回に梶田蓮、浦口輝の1、2番が柿木蓮から連続タイムリー、定本も9回途中までリードを守った。土壇場で追いつかれ、さらに延長で屈したが、ほとんどバントを用いない攻撃的野球は鮮烈だった。

14年夏の準Vに憧れた世代

 昨年8月に就任した、大会最年少の28歳・小島紳監督は言う。

「こんな競った試合になるとは……定本が、本当にいいピッチングをしてくれました」

 昨秋の東海大会ではベスト4だが、三重はもともと、「選手の能力的には、県内で一番だと思っていました」と小島監督は言う。大阪桐蔭には決勝で敗れたが、準優勝した2014年夏の伸び伸びした野球に憧れて入学した世代。星稜(石川)との準々決勝で9回に勝ち越し打を放った曲孝士朗などは、甲子園でその決勝を見ているくらいだ。

 ただこの春は、中京大中京(愛知)などを運営する学校法人梅村学園から独立し、新年度から学校法人三重高等学校に。ユニホームも、昨秋までは中京大中京と同じスタイルのものを着用していたが、1969年センバツ制覇時のスタイルに変えている(もっとも14年の準優勝を見ている選手たちには、旧ユニホームのほうが評判がいいようだが)。

 塁に出たらかなりの確率でホームを踏むという1番の梶田から、超攻撃的2番・浦口へと続く打線は、確かに活発に機能した。日大三(東京)との初戦(2回戦)では6、7回に9安打を集中。投げては定本が完封し、8対0と圧倒した。3回戦は、先発・福田桃也が乙訓(京都)に1失点完投し、浦口のソロ本塁打が決勝点の2対1。準々決勝では梶田のソロなど15安打で、星稜を9回に突き放した。その3試合で、犠牲バントを決めたのは星稜戦の前出健汰のひとつだけ。ファーストストライクから積極的に打ち、積極的にベースを駆ける姿は痛快だった。

気を引き締めた直前の練習試合

 ただ、と松井一夫部長が明かしてくれたことがある。かつて監督を務め、95年には春夏の甲子園を経験した人だ。

「組み合わせが決まり、もし日大三が初戦に勝てば、そことの対戦。相手も打力のあるチームですが、ウチも打線には自信があります。だから監督とは、”そうなったら11対10で勝とう”とイメージしたんですよ」

 ところが直後の3月17日、刈谷(愛知)との練習試合では初戦1対3、2戦目1対0と、打線が1点ずつしか取れない。あれで、気が引き締まった部分があるとは松井部長だ。

 するとその日大三戦は、6回に先制し、7回は小川尚人が安打で出ると定本がエンドランを決め、3連打で続き、さらに3盗塁を絡めて都合5点。11対10どころか、8点の大差勝ちだった。注目すべきは、0対0の段階でも、犠牲バントを記録していないことだ(定本にはバント失敗の併殺あり)。2対1と僅差の乙訓戦も、バントはなし。

 小島監督は言う。

「2番の浦口は打力があるので、“バントはしないよ”と言ってあります。ほかの選手ももともと、打つために練習をしているわけですから、僕のなかでも打たせてあげたい気持ちが強いですね」

定本を主将から外す荒療治も…

 実はもともと「能力はあるが、まとまりのないチーム」(小島監督)だったのだという。秋は信頼をなくした定本を、一時キャプテンから外すという荒療治を施したこともある。だか最終的には、選手間の投票で定本がキャプテンに復帰。定本が変わったのはそこからだ。

 監督就任前はコーチで、14年夏を率いた中村好治現総監督がいるため、「選手は、僕を監督だと思っていないんじゃないですかね」と笑う小島監督。選手との距離も近い。打撃投手をしたとき、左打者にツーシームが有効だと感じると、福田に「オレはこういう使い方をしているよ」とコミュニケーションを取る。1年の冬にそれを受けた福田は新球種として練習を重ね、乙訓戦で最後の左打者を空振りに取ったのがそのツーシームだった。

「中村前監督の選手との距離の近さからしたら、僕はまだまだです」と小島監督。コーチだった14年夏、1点リードの7回に逆転された大阪桐蔭にまたも逆転負けし、「桐蔭の終盤の強さは変わらず、年々進化していますが、勝てなかったのは私の経験不足のせいです」。

 だが、最後に付け加えた。

「でも、こういう試合ができて、あらためて高校生の力はすごいと感じました」

 さあ、明日は決勝。大阪桐蔭、史上3校目の春連覇か。あるいは、00年の決勝で敗れている東海大相模(神奈川・ちなみに同校にとって甲子園7戦目となる準決勝で初黒星)にリベンジした智弁和歌山(和歌山)、24年ぶりの春の頂点か――。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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