ジョーカーに名乗りを上げた中島翔哉 W杯メンバー入りに必要な条件は?

元川悦子

日本の数少ない希望となった中島翔哉

日本代表の欧州遠征で数少ない希望となったのが、マリ戦で劇的同点弾を挙げた中島翔哉だ 【Getty Images】

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が「勝利のスパイラルを作りたい」と野望を口にしていた3月23日、27日のマリ・ウクライナ2連戦。2018年ワールドカップ(W杯)・ロシア大会メンバー発表前最後のテストマッチということで非常に重要度が高かったが、終わってみれば1分け1敗。欧州組を含めたチームは昨年10月のハイチ戦から5戦未勝利という厳しい現実を突きつけられている。「仮想セネガル」「仮想ポーランド」と位置付けた2戦から確固たる収穫が得られなかったことで、日本代表をめぐる不穏な空気がより強まったのは確かだ。

 そんな中、数少ない希望となったのが、マリ戦で劇的同点弾を挙げた今回初招集の中島翔哉である。今季赴いたポルトガルリーグ1部・ポルティモネンセで9ゴール7アシストと目覚ましい働きを見せる164センチの小柄なアタッカーは、初キャップとなったマリ戦でいきなり結果を残す。終了間際に劇的同点弾をゲットし、強烈なインパクトを残したのだ。

 このゴールシーンには、高度なテクニックと鋭い得点感覚が凝縮されていた。中盤で三竿健斗からボールを受けた瞬間、中島は華麗なドリブルでDF3枚をターンしながらかわし、左に開いた小林悠に展開。次のクロスはDFにクリアされたものの、三竿がこぼれ球を拾い、中央目掛けて浮き球のボールを送った。この瞬間、背番号18は一目散にゴール前へ侵入し、左足を振り抜く。飛び出しのタイミング、ポジショニング、シュートの正確さと三拍子そろった一撃は、間違いなく見る者の度肝を抜いた。

「三竿がすごくいいパスをくれたと思いますし、もう触るだけだった。ああいう位置にいられないこともあるので、今日のゴールシーンは良かったと思います」と試合後、満面の笑みを浮かべた中島は、A代表デビュー戦で価値ある1点をもぎ取った。

 続くウクライナ戦でも後半34分から出場。前回の左サイドとは異なるトップ下に位置して積極果敢にゴールをうかがった。後半41分には左サイドを駆け上がった長友佑都のクロスの跳ね返りをダイレクトでシュート。いったんはDFにブロックされたものの、ルーズボールに反応して右足を振り抜く。得点への貪欲さと執着心が色濃く感じられるプレーだった。

 終了間際にも自らのドリブル突破で得たFKを狙い澄まして蹴ったが、これもGK正面に飛んでしまう。2戦連続アディショナルタイム弾はならなかったものの、中島からはゴールの匂いが誰よりも強く漂っていた。「中島は1つの発見だった。2試合とも交代で入ったが、満足いく姿を見せてくれた」と指揮官が絶賛するのも当然と言っていいほど、彼はゴールへの推進力、フィニッシュへのすごみを遺憾なく表現していた。

五輪でも評価された強心臓ぶり

大舞台でもブレない強心臓ぶりは五輪代表時代から高く評価されていた 【Getty Images】

 東京ヴェルディユースに所属していた11年日本クラブユース選手権でのベストヤングプレーヤー賞受賞、同年のU−17W杯・ブラジル戦のゴールなど、中島翔哉の傑出した才能は育成年代の頃から広く知られていた。12年にはいち早くトップ登録され、J2で4得点をマーク。プロ3年目の14年にはカターレ富山へのレンタル移籍を経て、シーズン途中の8月にFC東京へ移籍。J1に戦いの場を移した。

 この時、すでに16年リオデジャネイロ五輪代表のエース格に成長していた彼への期待値は高く、新たな環境でブレークの予感も少なからずあった。が、選手層の厚さやけがが壁となり、思うように出場機会を増やせず、悶々とした時間を送る羽目になる。U−23の一員としてJ3の試合に出されることもあり、中島は想定外の扱いに苦悩したことだろう。

 それでも、リオ五輪代表では「翔哉は代表に来るとハマる。チームに必要不可欠な選手」と手倉森誠監督が言い続けたように、絶対的なアタッカーと位置付けられた。五輪最終予選を兼ねた16年1月のAFC・U−23選手権では、当時アジア最強と言われたイランを敵に回した準々決勝で、わずか2分間で2ゴールという離れ業をやってのける。リオ五輪本大会でもコロンビア戦で同点弾を奪っており、大舞台でもブレない強心臓ぶりは高く評価されていた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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