2試合で見えなかった日本本来の強み 「迷った時に立ち返る場所」はどこか?

宇都宮徹壱

シェフチェンコ監督率いるウクライナについて

ウクライナに1−2で敗れ、日本はベルギー遠征を1分け1敗で終えた 【写真:高須力】

「日本はスピードがあるチームだと認識している。先日、ザック(アルベルト・ザッケローニ)と会った時にも、日本にはたくさんのタレントがいることを聞いている。われわれはワールドカップ(W杯)には出場しないが、日本の幸運を祈りたい」

 ベルギーはリエージュで行われる、日本対ウクライナの前日会見。ウクライナ代表のアンドリー・シェフチェンコ監督は、ACミランを通じての日本とのつながりを強調。本田圭佑についても「素晴らしい選手。いい評価しか聞かない」と持ち上げた。多少のリップサービスを含んでいることは分かっていても、かつてのバロンドーラー(2004年に受賞)からそう言われたら日本人としては悪い気はしない。もっとも個人的には、このウクライナの英雄とようやく間近で出会えたことに、少なからず心が震えていた。

 私が初めてシェフチェンコのプレーを見たのは、2000年にキエフのオリンピックスタジアムで行われた、ウクライナとポーランドによるW杯予選。ディナモ・キエフからミランに移籍して間もない頃で、背番号10をつけてプレーしていた(もっともスタンドからピッチまでが遠すぎて、豆粒くらいにしか見えなかったが)。その後、雑誌の仕事でシェヴァ(シェフチェンコの愛称)が通っていた小学校の先生や、ディナモの育成機関で指導したコーチにも取材をしたが、当人に会う機会はなかなか訪れなかった。

前日会見で、シェフチェンコ監督(左)は日本とのつながりを強調した 【宇都宮徹壱】

 その後、シェフチェンコは古巣のディナモで12年に現役を引退。スパイクを脱いでからは、政治家を志したり、プロゴルファーを目指したり、さまざまな紆余(うよ)曲折を経てフットボールの世界に戻ってきてくれた。16年2月にはウクライナ代表のコーチングスタッフとなり、その年のユーロ(欧州選手権)終了後に代表監督に就任。続くW杯予選では本大会出場はかなわなかったが、今回「仮想ポーランド」として日本と対戦することとなった。

 現在のウクライナが、果たして「仮想ポーランド」たり得るかという疑念は、正直なところ拭えずにいる。それでも、キエフでの最初の「出会い」から18年を経て、ようやく「ウクライナの英雄」を間近で拝むことができた。そんなシェフチェンコ監督が率いるウクライナ代表。ドルトムント所属のアンドリー・ヤルモレンコが、けがで招集されなかったのは残念だが、それでも最新(3月15日付)のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは35位。同55位の日本にとっては、十分に胸を借りるに値する相手であると言えよう。

マリ戦からスタメン8人を入れ替えた日本

トップ下に入った柴崎岳。FKから槙野のゴールをアシストした 【写真:高須力】

 記者席に座ると、向かって右側のゴール裏ではウクライナのサポーターが20人くらい陣取っていることに気付く。最初はベルギー在住の「にわかサポーター」と思ったが、横断幕の完成度やチャントの声量から「本物」と認識することができた。今年のW杯には出場できないものの、すでに彼らはユーロ2020に向けて気持ちを切り替えている様子。先のマリ戦では、対戦相手のサポーターが不在で寂しかっただけに、多少なりとも国際試合の雰囲気を味わうことができるのはありがたい。

 この日の日本のスターティングイレブンは以下のとおり。GK川島永嗣。DFは右から、酒井高徳、植田直通、槙野智章、長友佑都。中盤は守備的な位置に長谷部誠と山口蛍、右に本田、左に原口元気、トップ下は柴崎岳。そしてワントップは杉本健勇。前回のマリ戦から、実にスタメンを8人入れ替えてきた。昌子源をベンチに置き、槙野と植田でコンビを組ませたのは明らかにテストであろう。マリ戦で負傷した大島僚太、そしてコンディションが整わない大迫勇也に代わって、柴崎と杉本が起用されたのも想定内。本田と酒井については、マリ戦の「追試」という意味合いがあったと思われる。

「私は来日してから、できるだけ多くの選手に表現の場を与えてきた。最終予選だけでも43人の選手を招集している。少し多すぎるかも知れないが、さまざまな理由があってのことだ」──前日会見でヴァイッド・ハリルホジッチ監督はこう語っていた。正直、W杯初戦から3カ月を切るタイミングで、なお新戦力を含むテストが行われるとは思わなかった。「仮想セネガル」や「仮想ポーランド」というお題目で語られてきた、今回のベルギー遠征。しかし実際には、ギリギリまで戦力のオプションを増やすことを、指揮官は第一に考えていたようだ。

 キックオフは現地時間14時20分。試合が始まってまず驚いたのが、ウクライナのビルドアップが丁寧でしっかりしていたことだ。かつては縦に速いイメージがあったが、この日の彼らは、日本を遥かに上回るポゼッションサッカーを見せていた。とりわけ目立っていたのが3人。17番を付けた左利きのテクニシャン、中盤のオレクサンドル・ジンチェンコ。高さとスピードで前線に君臨する、41番のアルテム・ベセディン。そして左サイドを貪欲に切り裂く、10番のイェウヘン・コノプリャンカ。このコノプリャンカに対して、相対する酒井は何度となく背後を突かれることとなった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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