【WRESTLE-1】武藤の“ラストムーンサルト”に聖地熱狂 メインでは征矢が芦野の長期政権に終止符

高木裕美

武藤の「ラストムーンサルト」に聖地熱狂! 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 14日のWRESTLE-1「WRESTLE-1 TOUR 2018 TRANS MAGIC」東京・後楽園ホール大会では、この試合を最後に必殺技のムーンサルトプレスを封印し、年内欠場となる武藤敬司の「ラスト・ムーンサルト」を見届けるべく、満員の観客が詰め掛けた。

3月末に人工関節手術「正義の味方として帰ってくる」

手術前の武藤と肌を合わせようとかつての“教え子”たちが集結 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 セミファイナルのスペシャル8人タッグマッチでは、人工関節の手術を行うため、この試合を最後に年内はリングを離れる武藤の元に、かつての“教え子”たちが集結。浜亮太(大日本プロレス)&SUSHI(フリー)&宮本和志(和志組)と組んで、河野真幸&大和ヒロシ&中之上靖文(大日本プロレス)&KAI(フリー)組と対戦。武藤の代名詞でもあり、この試合を最後に封印されるムーンサルトプレスが放たれると、満員の観客が酔いしれた。
 武藤は今年2月に会見を開き、3月末に両ヒザに金属製の人工関節を埋め込む手術を行うため、この試合を最後に、今年いっぱいは欠場することを発表(25日のDDTプロレスリング東京・両国国技館大会にはグレート・ムタが出場)。4度にも及ぶ手術と、長年にわたる両ヒザの酷使で、近年は歩くことも困難で、車イスで移動をする状態であったが、「人工関節を入れてもプロレスができる」と聞き、手術を決意。しかし、医師からは「手術が成功してもムーンサルトプレスはやっていけない」と言われており、この試合がムーンサルトの見納めとなる予告をしていた。

 武藤のヒザの悪さは、ものまねタレントの神奈月さんやオマージュレスラーのランジェリー武藤などもネタにするほど。まだデビューして3年程度の24歳の時に、日本で右ヒザの半月板の3分の2を摘出する手術を実施。だが、これにより、ヒザの中のクッションを除去してしまったため、その後も酷使している間に骨と骨がぶつかって、ヒザが変形してひざ関節症を発症。さらに、右ヒザをかばううちに左ヒザも悪くなり、バランスが崩れたことで腰痛にもなってしまったという。

 武藤は会見の際に「ヒザさえ治ったら、まだまだ何年もやっていく自信がある。子供の頃、仮面ライダーにあこがれてプロレスラーを目指した。オレも人工関節を入れて、改造人間になれば、もしかしたら仮面ライダーに近づくかな。正義の味方として帰ってくるよ」と明るく話しており、この日の試合でも、試合後のコメントでも、悲壮感はなく、リング復帰を力強く約束していた。

武藤、最後の月面水爆で決着

武藤のシャイニングウィザード2連発からのムーンサルトプレスで試合はフィニッシュ 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 現在55歳の武藤は、1984年に新日本プロレスに入門。同日入門の蝶野正洋、故・橋本真也さんと共に闘魂三銃士を結成し、90年代の新日本マットで黄金時代を築き上げた。また、米国遠征中に誕生した“悪の化身”グレート・ムタとしてもブレーク。世界に名をとどろかせた。2002年に新日本を退団し、全日本プロレスに移籍。その後も他団体にも積極的に参戦し、数々のタイトルを獲得。だが、13年に全日本を退団し、同年9月に新団体WRESTLE-1を旗揚げした。

 今回の試合のパートナーおよび対戦相手はいずれも、02年からの「武藤全日本」時代の教え子たち。いまや、河野、大和をのぞく他のレスラーたちはWRESTLE-1以外を主戦場としているが、今回、武藤のために久々に集結。大和は頚椎症性脊髄症の手術を行って以来、約2年ぶりの復帰戦となる。

「ファイナル・カウントダウン」から始まる武藤の歴代入場テーマ曲メドレーと共に、スクリーンには武藤のこれまでの歴史や雄姿が映し出され、最後に「HOLD OUT」が鳴り響くと、観客は大「武藤」コールで迎え入れる。コール時にも大量の白い紙テープが投げ入れられ、試合前からボルテージは最高潮となった。

 武藤は自ら先発を買って出ると、約7年間にわたって付き人を務めていた中之上にヘッドロック、タックルで倒されながらも、打点の高いドロップキックでお返し。また、「武藤塾」1期生の大和には、フラッシングエルボー、股裂き、STF。河野がカットに入ると、場内からは大ブーイングが起こる。10分過ぎ、武藤は同じく「武藤塾」1期生のKAIに低空ドロップキック、ドラゴンスクリュー、足4の字固めを繰り出すも、またも河野らがカット。武藤がシャイニングウィザードからコーナーに上がったところ、河野がイスを投げつけて阻止。さらにヒザ固めで捕獲すると、武藤は大声援を受け、自力でロープブレークをする。15分過ぎ、4人のアシストを受け、武藤がついに河野にムーンサルトプレスを放つも、かわされて自爆。客席からは大「武藤」コールが起こる中、KAIは容赦なく武藤にスプラッシュプランチャを繰り出すも、SUSHIが体を張ってかばうと、河野のジャイアントニーも宮本が身を呈してブロック。浜が河野にラリアット、エルボードロップを見舞うと、武藤もシャイニングウィザード2連発からのムーンサルトプレスでフィニッシュ。最後の月面水爆が決まると、客席からは割れんばかりの「武藤」コールが沸き起こった。

 武藤は試合に出てくれた選手1人1人の名前を呼びかけ、「今日はありがとう。おまえらとプロレスができて、本当、元気もらったよ」と感謝の気持ちを伝えると、ファンに対し、「しばらくプロレスを休みますが、必ずこのリングに戻ってきます。新生・武藤敬司で帰ってくるから、皆さん待っていてください。今日はありがとう!」と、来年以降の復帰を約束した。

 バックステージでも、選手たちが1人ずつ武藤にメッセージを伝え、まずは河野が復帰戦の相手に名乗りを上げると、武藤も「リハビリがあるけど、必ず戻ってくるよ」と呼応。武藤としてのラストマッチとなったこの試合について「正直、なかなか苦しい戦いだった。自分の足をかばいながら、みんなに助けてもらった」と振り返ると、最後のムーンサルトプレスについて「昔の跳躍力がなく、不恰好だけど、気持ちのこもったムーンサルトだった。悔いなし。さよなら、ムーンサルト」と決別宣言。武藤自ら「この技なくしては上へ上がれなかった」と認めるほど、武藤にとっても代表的な技であり、海外でも大きな武器となっただけに、「水戸黄門の助さん格さんの格さんを失ったようなもの」と、喪失感は大きい。それでも、「今までの経験を糧に、新しいものを生み出していく」と、56歳になっての新生・武藤の誕生を予告すると、「ファンからもらった元気はプロレスで返す。まだ引退したわけじゃないからね」と、これまで以上にパワーアップしてのカムバックを誓った。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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