加藤条治「自分を信じて」臨んだ五輪 4度目の挑戦“金”届かずも清々しく

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「金メダル」だけを目指して挑んだレース

4度目の挑戦も金メダルには届かなかった加藤、しかしその表情は晴れやかだった 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 平昌五輪のスピードスケート男子500メートルが19日に行われ、2010年バンクーバー五輪銅メダルの加藤条治(博慈会)は34秒831の6位に終わった。

「金メダル」だけを目指して挑んだレース。12組のアウトスタートだった加藤は、いきなりフライングを取られてしまう。「正直、不安は残りました。でもスタートの音をしっかり聞いてから出れば問題ないと思っていたので、それに集中しました」。2回目はうまくスタートが決まり、最初の100メートルを同走の高亭宇(中国)に次ぐ全体2位の9秒53で通過した。

 しかし、最初のカーブ中盤で「左足が1度思い切り抜けてしまった」と加藤。そのミスでトップスピードに到達するのが遅れ、「最後の体の動きが渋くなった」と悔やんだ。同走の高亭宇に遅れを取り、この時点で2位と、金メダルの可能性がついえた。その後も4選手が加藤のタイムを上回り、4度目の出場となった平昌五輪は6位で終戦した。

「レース前はかなり調子も上がってきて、ようやくここに来てメダル圏内まで入ったと思ったんですけど、最初のカーブで大きなミスがあって届きませんでした。悔しい気持ちはありますが、過去の五輪と違って清々しさもあります。ここまでの過程や、自分でチャレンジしてきたことの充実度が非常に高いものでした。それは自分の頑張りだけではなく、周りからのサポートをものすごく感じていたからだと思います」

 そう語る加藤の表情は晴れやかだった。

シーズン開幕前に立てたプラン

五輪の1レースだけに向けて加藤は「自分を信じて」ピークを持ってきた 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 平昌五輪開幕前の2月6日に、加藤は33歳になった。スピードを争う競技ということを考えれば、一般的にはピークを過ぎた年齢のようにも思える。実際、29歳で出場したソチ五輪(5位)以降、加藤は世界の第一線から遠のいた。1年間の休養やケガもあったとはいえ、以前のような滑りを取り戻せない。2005年に当時の世界記録(34秒30)を出した男は、理想と現実の狭間で揺れ動き、葛藤した。

 昨年3月に、03年に入社した日本電産サンキョーを退社。今季開幕前の夏ごろは両ひざの状態が思わしくなく、トレーニングもまともにこなせない状態だった。

「スケートに大切な屈伸運動をほぼ避けていたくらいです。スクワットなどはするんですけど、ひざの曲げ方は違うし、基本的なウエートトレーニングはしていても、スケートにつながる動きは全くせずに夏を過ごしてきました」

 そんな中、9月に新しい所属先(博慈会)が決定。応援してくれる人も増えた。加藤は平昌五輪に向け、今季は段階を踏んで状態を上げていくプランを立てる。

「以前のようにシーズン頭からずっと勝ち続けていくことは、まず不可能だと自分で整理しました。前半戦は絶対に結果を求めてはいけない。今までの基本的なウエートトレーニングを、少しずつスケートにつなげていく作業に集中する。そして五輪選考会の段階で、ぎりぎりに選ばれるところまで持っていこうと思っていました」

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