村田愛里咲、涙と満足の「やりきった」 ソチの悪夢から4年、再び立った大舞台

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大けがからのリハビリを乗り越えて

モーグル女子の村田愛里咲は決勝1本目で18位に終わりメダル獲得はならなかった 【写真は共同】

 思うような結果を残せなかった悔しさ、自分本来の「攻撃的な滑り」を貫けた満足感、4年間かけて臨んできた大一番を終えた安堵感……。いろいろな思いが去来したであろう村田愛里咲の目には、オレンジ色のゴーグル越しにはっきりと分かるほど涙がたまっていた。

 平昌五輪のフリースタイルスキー・モーグル女子は11日に決勝が行われ、日本勢唯一の出場となった村田は決勝1本目で18位となり、上位12人が進める決勝2本目への進出を逃した。

 村田は第1エアで得意の大技フルツイストを決め会場を大いに沸かせると、第2エアのバックフリップも成功。しかし第1エア後に滑りが乱れたことが響いたか、スコアは思ったよりも伸びず70.77点に留まり、残り8人を残して暫定10位につける。だが、その後3選手が立て続けに75点以上をマークし敗退が決まった。

 4年前のソチ五輪では決勝前の公式練習で負傷し無念の棄権。大けがからのリハビリを乗り越え今度こそ決勝のスタートラインに立ったが、「狙いたい」と語っていたメダルには手が届かなかった。

今大会は腰痛を抱えながらの参戦

第1エアの大技フルツイストが決まり、会場を沸かせたが…… 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 14年2月のソチ五輪で左膝前十字靱帯を損傷した村田が復帰したのは、丸2年が経った16年2月の日本選手権。いきなりデュアルモーグルで2位に入り滑りが錆びついていないことを証明したが、その後の国際大会では決勝にも残れない試合が続いた。

 膝を気にしながら滑るうちに腰も痛めた村田が国際大会の表彰台に復帰したのは、17年2月の冬季アジア札幌大会。「けが前の状態からは60〜70パーセント」としながらも、モーグルで金メダル、デュアルモーグルで銀メダルを獲得し復活を印象づける。

 今シーズンは開幕からワールドカップ(W杯)で予選落ちが続き、代表入りも危ぶまれたものの1月のディアバレー大会(米国)で5シーズンぶりのひと桁順位となる8位。女子唯一の代表権を獲得し、リベンジのチャンスを得た。

 今大会は腰痛を抱えながらの参戦で「(トレーナーの)魔法の手で治してもらっています(笑)。痛み止めは特に使っていなくて、湿布を貼って滑っている感じです。後は交互浴したりとか」と調整しながら試合に臨んでいた。

 9日の開会式前に行われた予選は74.13点で9位。仮に11日も同じ点数をマークしていれば決勝第2ラウンド進出を果たせていた計算になる。

「攻撃的な滑りができて良かった」

ソチでの大けがを乗り越え4年、村田は涙をこらえながらも「やりきりました」と笑顔を浮かべた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

「第1エアから(滑りに)つながらなかった」と敗因を分析する村田だが、「今日の練習はすごくうまくいっていて、絶対にいけるっていう気持ちだったので、それがちょっと悔しいです」とも語る。取材陣の答えた数分間で、村田にはいくつもの感情が浮かんだように思えた。

 涙目ながら「攻撃的な滑りができて良かった」と気丈に繰り返しながらも、ジャッジが辛かったのではと問われると「そうですね、自分のなかでもけっこう……」と言いかける。しかし「あ、でも、だめだった部分は自分のなかで分かっているので、このくらいの点数かな」とつなぎ、言葉を飲み込んだ。

 女子唯一の日本代表として、村田には五輪での日本女子6大会連続の入賞がかかっていたが叶わず、「成績は出せなかったんですけど、やりきりました」。取材を終えた村田はスキー板を履き直し日本チームの待機場所へ向かうと、そこで待つ上村愛子さんの胸に飛び込んだ。辛いリハビリを乗り越えて挑んだ大舞台はこれで幕を閉じる。31歳で迎える22年北京五輪については「まだ考え中です」と、はっきりとした口調で答えた。

(取材・文:藤田大豪/スポーツナビ)
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