得点と言葉で振り返る羽生結弦の進化 尽きぬ向上心「何度でも壁を越える」

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「自分はまだ本当のチャンピオンじゃない」

羽生結弦はこれまでのフィギュアスケート人生において、何度も得点記録を塗り替えてきた 【写真は共同】

 羽生結弦(ANA)はこれまでのフィギュアスケート人生において、何度も得点記録を塗り替えてきた。シニアに限ればその数は実に12回。ショートプログラム(SP)、フリースケーティング(FS)、合計得点のいずれも歴代最高記録を保持しているのは羽生なのだ(編注:SP112.72点、FS223.20点、合計330.43点)。

 羽生が初めて歴代最高得点を更新したのは、2012年10月のスケートアメリカだった。痩身の17歳がSPでマークした95.07点という点数は、見る者を驚かせた。このシーズンからブライアン・オーサーコーチに師事。拠点をカナダに移した。同大会の2週間ほど前に出場したフィンランディア杯のFSでは4回転サルコウを初成功させるなど、加速度的に成長を続けていた。

 スケートアメリカから約1カ月後に行われたNHK杯のSPで、羽生は95.32点をマークし、再び自身の記録を更新する。そしてその勢いのまま、年末の全日本選手権を初制覇。高橋大輔、無良崇人(洋菓子のヒロタ)らを抑えて、日本のトップに立った。

 だが、そこには優勝を喜びつつも、多くの反省点を述べる羽生がいた。

「技のキレや正確さ、どこをとっても足りないです。スケーティングや姿勢も改善の余地がある。自分はまだ本当のチャンピオンじゃないと思っています」

 現状に満足しない向上心、自らの課題を正確に分析する力は、さらなる飛躍を予感させた。

ソチ五輪で史上初の100点超え

ソチ五輪のSPで史上初の100点超えとなる101.45点をマークも「でもこれが僕のベストではない」 【Getty Images】

 14年のソチ五輪では、前人未到の領域に足を踏み入れた。SPで101.45点をマークし、史上初となる100点超えを果たしたのだ。フィニッシュポーズで右手を上げた瞬間の「どうだ!」と言わんばかりの表情には、自信と手応えがうかがえた。

「100点超えという点数には驚きました。でもこれが僕のベストではない。明日はさらにベストを出したい」

 翌日のFSではミスもあり、完璧な演技はできなかった。日本男子選手として初めて五輪で金メダルを獲得したとはいえ、悔しい表情も見せていた。それでも「日本の皆さん、世界中で応援してくださった皆さんの思いを背負って演技できたことをうれしく思った」と感謝を述べた。

 五輪チャンピオンとして臨んだ14−15シーズンは、けがや体調不良との戦いでもあった。中国杯の6分間練習中に閻涵(中国)と激突し流血。全日本選手権後には尿膜管遺残症により手術を受けた。グランプリファイナル連覇、全日本選手権で3連覇を飾りながら、このシーズンは五輪王者としての理想と苦しみの狭間で揺れ動いているように感じられた。それを裏付けるのが全日本選手権後の言葉だ。

「壁の先には壁しかありませんでした。人間は欲深いもので、課題が克服できたら越えようとする。たぶん僕は人一倍欲張りなんだと思います。だから何度でもその壁を越えようとするんです」

 結果は残したものの、自分の思うような演技ができないもどかしさ。それが翌シーズンの快挙につながっていった。

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