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反町監督が松本で“長期政権”を築く理由
7年目のシーズンは原点回帰の年に
反町監督は在籍7年目のチームに何を期待し、何をもたらすのだろうか。本音を聞いた
反町監督は在籍7年目のチームに何を期待し、何をもたらすのだろうか。本音を聞いた【(C)J.LEAGUE】

 2012年にJ2昇格初年度の松本山雅FCへ赴き、わずか3年でJ1昇格へと導いた知将・反町康治監督。J1初参戦の15年は惜しくも16位に終わり、1年での降格を強いられたが、再昇格を期した16年にはJ2で勝ち点84を確保。2位に入った14年の勝ち点83を上回る数字を残した。最終的に清水エスパルスに抜かれ3位となり、J1昇格プレーオフで敗れたものの、見る者に前向きな印象を残したのは間違いない。その期待を背に挑んだ17年はまさかの8位。6年間続いた反町体制も終焉(えん)を迎えるのではないかと思われた。


 しかし「去年の途中から神田(文之)社長と、何度もクラブの問題点やビジョンを話し合った結果、最終的に続ける決断を下した」と本人が言うように、反町監督は松本で7年目のシーズンを戦う覚悟を決めた。01年にアルビレックス新潟で監督キャリアをスタートさせた時から「監督の仕事は3年が一区切り。長すぎるのはよくない」と言い続けてきた彼にとっては、異例の長期政権となる。

 果たして反町監督は7年目のチームに何を期待し、何をもたらすのか。プレミアリーグで22年間、アーセナルを率いているアーセン・ベンゲルのような存在になるつもりはあるのか。本音を聞いた。(取材日:1月27日)

「辞めるべきではないか」と考えたこともあった

「辞めるべきではないか」と考えたこともあったという反町監督。続投に傾いた最大の要因はサポーターにあったと話す
「辞めるべきではないか」と考えたこともあったという反町監督。続投に傾いた最大の要因はサポーターにあったと話す【(C)J.LEAGUE】

――反町さんは新潟で5年、北京五輪を戦ったU−23日本代表で2年、湘南ベルマーレで3年の監督キャリアを歩んできましたが、松本では最長となる7年目を迎えました。それをどう受け止めていますか?


 長く続けることには、メリットと弊害の両方がある。前者で言えば、クラブの事情や残っている選手の力量をすでに把握していること。それを生かして新しい選手との融合を図っていけるのは、チーム作りを進めるうえで大きなアドバンテージですね。逆に自分自身の考え方が凝り固まったり、選手を見る目が変わらないかもしれないという弊害もあります。


 松本の場合、J2に上がってからずっと自分がやっているから「監督=反町」みたいになってしまっている(苦笑)。それも果たしていいのかどうか、分からないところはありますよね。去年は成績も残せませんでしたし、「自分は辞めるべきなんじゃないか」と考えたことも当然ありました。他からのお誘いがないわけでもないし、同じチームに居続けることで、自分のスキルアップになるのかどうかも、正直考えました。


 ただ、このクラブには独特の優しさがあるし、サポーターも常に心を込めて応援してくれる。どんな時もネガティブなことを言わず「一緒に頑張ろう」と言ってくれる。家族は一番苦しい時に助け合うものだけれど、松本の人たちは本当にそういう存在です。そういう意味では不思議なクラブだと思いますし、そこで仕事ができることは監督冥利(みょうり)に尽きる。ありがたく感じています。


――それが続投に傾いた最大の要因ですか?


 そうですね。加えて、この半年間で神田社長とクラブの問題点は何なのか、どう変えていくべきかという話を繰り返し議論したことも大きかったですね。これまでの松本は、選手補強に関して監督の意見が通りにくいところが少なからずあった。今までは「まあ、俺が何とかするから」と言っていたけれど、そのままの体制でやり続けるのはちょっと苦しい。クラブに携わる全員がプロフェッショナルの意識を持ち、全力を尽くす集団に変わらなければいけないという自分の思いを率直に伝えたんです。


 その結果、今季から柴田峡さんを編成部長に据えた新体制で動き出すことになりました。彼は15年まで自分の下でトップチームのコーチを務めていて、松本の事情を誰よりもよく理解している人物。どういう補強が必要かをじっくり話し合い、リクエストを出し、動いてもらったところ、自分の思い描いた編成にかなり近いものになった。今年はそれをどうマネジメントしていくかが大事になってくる。自分の力量がより問われるシーズンになると、強く自覚しています。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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