スキージャンプ男子が待ち望んだ“新星” 小林潤志郎・陵侑兄弟、飛躍のきっかけ
昨夏の白馬で兄弟ワンツーフィニッシュ
ノルディックスキーのGPジャンプ男子個人で2連勝し、笑顔を見せる小林潤志郎(右)と、2位になった弟の陵侑=8月、白馬ジャンプ競技場 【共同】
7月中旬から始まったサマーグランプリ(GP)で潤志郎は第3戦まで23位が最高と結果を出せていなかったが、8月26日からの第4戦と5戦の白馬大会では連勝。その後も第7戦のロシア・チャイコフスキー大会で2位になるなど活躍を見せ、総合3位につけたのだ。
さらに弟の陵侑も出場は白馬大会とチャイコフスキー大会の4試合だけだったが、白馬の初日で11位になると2日目には潤志郎に次ぐ2位になり、兄弟ワンツーを実現した。そしてチャイコフスキーでも9位、15位と安定したジャンプを見せ、全9試合中4試合のみ出場で総合15位になり、共にワールドカップ(W杯)代表になったのだ。
一時チャンスをつかむが、その後は低迷
小林潤志郎は2011年2月の全日本学生スキー選手権で優勝(写真当時)するなど、ノルディック複合でも活躍していたがその後ジャンプに専念 【写真は共同】
だが翌シーズンは出場試合も減って総合60位と低迷。13−14年シーズンはサマーGPにフル参戦しながらも総合67位でW杯代表にも選ばれず、出場したのは札幌大会2試合だけにとどまった。ソチ五輪後の14−15年は総合44位と持ち直したが、翌シーズンは前半のみ出場で61位。チャンスを得ながらも結果が出せない日々が続き、昨シーズンは前半戦は選ばれず後半の11試合に出場したが、30位以内に入ってポイントを取れたのは2試合のみという結果だった。
それに対して5歳年下の陵侑は土屋ホーム入りした16年1月、主力選手が調整のため出なかった24日のザコパネ大会に初出場し、7位になってチャンスをつかんだ。そして世界ジュニアノーマルヒルで3位になった後、終盤の3戦に出場し最後のプラニツァのフライングヒル団体のメンバーにもなって4位に。さらにその夏のサマーGPでは開幕から6試合に出場して5位2回、6位1回で、4試合の欠場がありながらも総合14位と飛躍しW杯代表に選ばれた。
しかし初めてのW杯フル参戦は厳しいものだった。最高順位は33位で、獲得ポイントはゼロという屈辱の結果だったのだ。