ロナウジーニョと過ごした魔法の時間 サッカーは夢、喜びに満ちたキャリアに幕

大野美夏

12年にも引退を考えたが……

アトレチコ・ミネイロではコパ・リベルタドーレス優勝を成し遂げた 【写真:ロイター/アフロ】

 しかし、03−04シーズンから5年間を過ごしたバルセロナでの絶頂期以降、徐々にパフォーマンスが落ちていくことになった。ミランでふがいないプレーをした後、11年にブラジルに帰国すると、国内で最も人気のあるフラメンゴに加入した。当然ながら大きな期待が沸き起こったが、ロナウジーニョという商品の価値があまりにも大きく、意見が合わないと監督が解任されるなどクラブが巻き込まれてしまった。値段に見合う結果が出ていないと批判され、あげくにはクラブ側がサラリーを払えなくなり、早期契約解除でクラブを出て行くことになった。

 それでも、12年に移籍したアトレチコ・ミネイロでロナウジーニョは再びビッグタイトルを獲得した。このタイトルには特別な思いが込められ、母への深い愛情が関わっていた。母ミゲリーナは12年にがんであることが分かり、闘病を続けていた。ロナウジーニョは心配のあまり母の側にいたくて密かに引退を考えていたほどだった。そんなロナウジーニョを励まし、回復を祈ってアトレチコのサポーターがドナ・ミゲリーナの絵が描かれた横断幕を作ってくれたのだ。

 翌年、奇跡的にドナ・ミゲリーナが回復した時、ロナウジーニョは目を真っ赤にして
「昨年からずっと僕はつらい時期を過ごしてきた。でも、アトレチコサポーターはぼくを温かく抱きしめてくれたんだ。彼らのためにプレーする」とアトレチコへの愛を誓った。ロナウジーニョにとって初めて、クラブにとっても未踏のコパ・リベルタドーレス優勝を成し遂げたのだった。

 心が折れそうになっていたロナウジーニョを支えたのはサポーターの存在だった。
「僕にとって母は全てなんだ。母のことを思うと引退も考えたが、アトレチコサポーターの祈りのおかげでぼくはもう一度やる気を起こしたんだ」

ロナウジーニョ「やることは全部やった」

ケレタロ(写真)、フルミネンセでプレー後、2年間はどこにも所属せず 【写真:ロイター/アフロ】

 リベルタドーレス優勝で名声を取り戻したロナウジーニョは、メキシコサッカー界に活躍の場を求めることにした。34歳になったロナウジーニョの加入をケレタロのサポーターは大歓迎し、デビュー戦には3万5000人が集結した。しかし、その後は1シーズン1億円という年俸に見合ったプレーはなかなか見せることができなかった。1年足らずでリーグ戦とプレーオフで25試合8ゴールを記録したが、「1分のサラリーが5万円」とまで揶揄(やゆ)された。それでも、1つのタイトルを残したことがロナウジーニョにとっての誇りとなった。
 
 そして、15年に契約を交わしたのが、最後のクラブとなったリオデジャネイロの名門フルミネンセだった。ロナウジーニョとしては、現在人気・実力ともにナンバー1のコリンチャンスからのオファーを望んでいたが、常に本気で優勝を狙うクラブに35歳のロナウジーニョが呼ばれることはなかった。フルミネンセでは背番号10で迎えられたが、9試合に出場して得点はゼロに終わった。

17年にはバルセロナのOB戦に出場した 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

 フルミネンセを退団してからの2年間はイベントに参加したり、バルセロナのアンバサダーになったりと時折メディアに顔を出すことはあったが、ほぼ引退とみられていた。

 今回正式な引退発表をしたが、もう心ではサッカーから離れることを決めていた。
「もうやることは全部やった。夢もたくさんかなえた。今まで、試合でいろいろなところに行く機会はあったけれど、ただの移動でその土地を知ることもできなかった。でも、これからは今までと違う旅行を楽しめる」と、新しい生活にワクワクしているところだ。

グレミオへの特別な思い

グレミオには特別な思いがある(写真は00年、ロナウジーニョは左下) 【写真:アフロ】

 一方でずっと彼の心にひっかかっている古傷がある。古傷であり永遠の愛。それがグレミオだ。

 トリコロール(青白黒のグレミオカラー)のユニホームを着てプレーする兄の姿を見て育ち、サッカー選手になるという夢をかなえたクラブ。けれど、サポーターにしてみるとロナウジーニョはクラブが生んだ最高のクラッキ(名選手)ではなく、パリ・サンジェルマンにゼロ円移籍をして恩を仇で返した裏切り者だ。さらには、11年にグレミオ復帰をほぼ決めていながら最後の最後でフラメンゴに寝返ったことも追い討ちをかけた。グレミスタ(サポーター)たちの心にはロナウジーニョへの憎しみが今でも消えない。かつてのクラブで引退記念試合をしたいと願っているロナウジーニョだが、グレミオのサポーターたちからは門前払いだ。

 17年にグレミオがクラブW杯に出場した際、「絶対に応援する。今までも応援してきたし、これからも永遠に応援し続ける」とグレミオへの愛を口にしたロナウジーニョの言葉にうそはないはずだ。家族と過ごした思い出の地で再びトリコロールのユニホームに袖を通すことができたら、思い残すことはなかったのではないだろうか。引退メッセージに「父と家族の支えが……」と書いたロナウジーニョの心には父が生きていた頃、母、姉と4人でグレミオでプレーするアシスを見ていた家族の姿を思い出したのではなかろうか。

魔法のような時をどうもありがとう

サッカーはロナウジーニョの夢そのものだった 【写真:ロイター/アフロ】

 あんなに大好きだったグレミオを出た時、離れてからも応援し続けたグレミオを選ばなかった時の選択は、より高いサッカーキャリアを選んだプロ魂だったのかもしれない。

 だからこそ、絶頂期のようなプレーができなくなったキャリアの終盤まで、サッカーを愛し、自らのプレーに自信を持ち、ひとつでも多くのタイトルを目指して必死にもがいて、最後にやることはすべてやったと言い切ったのだろう。

 サッカーはロナウジーニョの夢そのものだった。あなたの夢をわれわれも一緒に見させてもらった。魔法のような時をどうもありがとう。そして、お疲れ様でした。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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