ロナウジーニョと過ごした魔法の時間 サッカーは夢、喜びに満ちたキャリアに幕

大野美夏

一番ふさわしい言葉は“アレグリア(喜び)”

世界中を魅了してきたロナウジーニョ。37歳でついにスパイクを脱いだ 【写真:ロイター/アフロ】

 彼のプレーにはいつも喜びが満ち溢れていた。

 彼のプレーにはいつもサプライズが散りばめられていた。

 ひとたび彼の足にボールが吸い寄せられると、次は何をやってくれるのか心は高鳴った。彼と同時代を過ごせたことを、われわれは神様に感謝しなければならない。

 ロナウジーニョはFIFA(国際サッカー連盟)世界最優秀選手賞2回、2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会優勝、UEFA(欧州サッカー連盟)チャンピオンズリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝を成し遂げた。人々は彼を「テクニシャン」「マジシャン」「サプライズ」「天才」「スーパースター」とたたえたが、彼に一番ふさわしい言葉は“アレグリア(喜び)”だった。

 ボールと戯れる楽しさを彼ほど世界中のサッカーファンに届けてくれたプレーヤーはいない。いや、彼は届けようとして届けたのではない。ただただ、ボールと会話し、遊んでいたのだ。

 ロナウジーニョ、すなわち「小さなロナウド」は兄アシスの背中を見ながらボールを蹴っていた少年の心のままボールを蹴り続け、37歳でついにスパイクを脱ぐことを決意した。

 ピッチ上での明るさ、絶やさない笑顔、夜遊び好き、音楽好き、そしてファッションも個性的だったことから、遊び人のイメージが強かったが、実はロナウジーニョの口数は多くない。シャイで、家族を誰よりも大事にするドナ・ミゲリーナの息子であった。

家族の絆がエネルギーの源

家族の絆をエネルギーに、02年にはブラジル代表の一員としてW杯を制した 【Getty Images】

 ロナウジーニョはSNSで引退をこう語った。

「みんなは僕がシャイであまり話さないことを知っているだろう? でも、今日は心からありがとうを言いたい。30年という長きにわたってサッカーに身を捧げてきたが、ついにお別れをする。サッカーは僕の夢そのものだった。僕はサッカーを愛していた。

 ここまでやってこられたのは、父と家族の支えがあったからこそ。みんなでやってきた仕事だったんだ。監督、コーチ、スタッフ、フロント、そしてサポーター、敵チームのサポーターもね。バスの運転手、ホペイロ(用具係)、審判、マスコミ、いろいろな人のおかげで僕は一番大好きなことを思う存分やりきることができた。僕1人の歴史じゃない。サッカーを僕の人生に、僕の仕事にできて本当に幸せだった」
 
 このメッセージが流される前に、兄のアシスはロナウジーニョの引退を正式発表していた。アシスこそ、ロナウジーニョのサッカー選手としての成功に欠かせない人物だった。弟のマネジメントを一手に引き受け、キャリアを一緒に作り上げてきた。

 アシスはロナウジーニョが物心ついたときから地元ポルト・アレグレ市にある名門グレミオの花形選手だった。そのおかげで家族は大きな家に住めるようになり、何不自由のないくらしをしていた。だが、幸せは長く続かなかった。ロナウジーニョが9歳の時に、父が自宅プールでおぼれて亡くなる事故が起きてしまった。いつも笑顔を絶やさなかったロナウジーニョは、兄の手をぎゅっと握り締め、父の死に立ち向かったという。つらい出来事だったが、一家は固い結束をより強めることになった。母の存在はロナウジーニョにとって全てになり、兄は第2の父であり、憧れのヒーローとなった。家族の絆こそが、その後もロナウジーニョのエネルギーの源であり続けたのだ。

子供の頃の情熱を持ち続ける

子供の頃の情熱を持ち続け、さまざまなタイトルを獲得した 【写真:ロイター/アフロ】

 母ミゲリーナはこう言っていた。
「ロナウドは、いつも明るくほがらかで、私に厄介ごとを持ち込んだことがない。彼が集中しなければいけないのはサッカーだけ。それ以外は、私たち家族が全部引き受けるの」
 
 とにかくボール遊びが好きで好きでたまらない子供だった。
「僕はサッカーのために生きている。サッカーのために食べて、寝る。息をするのもサッカーのため。ボールさえあれば僕は最高に幸せなんだ。」(ロナウジーニョ)

 サッカーという世界に浸りきってさえいれば幸せだった。

 地球を超え、宇宙レベルとまで言われたテクニックを、ロナウジーニョは小さな頃から身につけていた。いつもどこでもずっとボールに触っている子供だった。いすを障害物に見立てたり、母を相手にドリブルしたりと、いろいろなプレーを自分で工夫して試してやるのが大好きだった。その代わり、勉強は苦手だったが……。

 子供の頃のただただサッカーが好きという情熱をそのまま持って大きくなったのがまさにロナウジーニョだった。

 だからこそ、プレースタイルは「ひとつの場所にじっとしているように言われるのは好きじゃない」と本人が言うように、自由で感性のおもむくままのインスピレーションでプレーした。そして、想像もつかないプレーに世界中が驚き、魅了された。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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