笑顔を貫いた山梨学院のエース加藤拓己 悔しい初戦敗退も、大学経由でJを目指す

中田徹

ロングボールを加藤へ集めた山梨学院

米子北に逆転負けを喫した山梨学院だったが、エースの加藤は存在感を発揮した 【写真は共同】

 第96回全国高校サッカー選手権の1回戦(12月31日)、米子北が2−1で山梨学院に逆転勝ちし、2回戦(1月2日)の仙台育英戦に駒を進めた。

 今大会注目のストライカー、山梨学院の加藤拓己が存在感を示した。山梨学院は後方からのフィードも、FKも加藤を目掛けてボールを蹴り、ロングスローも彼に合わせて投げ続けた。その徹底ぶりはすがすがしいほど。受ける加藤もGKの大嶌宏汰がボールを持った瞬間、「俺に向かって蹴れ」と言わんばかりに両手を挙げたり、胸元を指してロングボールを要求し続けた。

 23分、その加藤がエースの期待に応える。フリーキッカーの増村有哉に加藤が「右足でファーポストの方に吸い込まれるような速いボールを、(自分が)触れなくてもいいから蹴ってみろ」と耳打ちしてからペナルティーエリアの中に入っていくと、シュート性の低いボールが自分のところに飛んできた。それを加藤は頭で反らしてゴール右隅に決めたのだ。

 劣勢に立った米子北だったが、29分に早くも交代カードを切ると、投入された鍜治川友貴が31分の坂田二千翔(にちか)の同点ゴール、47分の葉間田累の逆転ゴールの起点となるラッキーボーイとなった。

謙虚な気持ちで対応した米子北

 1点を追う側に回った山梨学院だったが、後半半ばを過ぎてからは加藤が足の疲労からかストレッチをするシーンが幾度もあり、最後は力を出し切れず。チームとしても、残り20分で4バックから5バックに切り替えた米子北の堅守を崩し切れなかった。

「加藤が何とかしてくれるだろう――。そこにちょっと頼りすぎた。もう少し違う引き出しがあったら良かったんですけれど、その辺が足りなかった」(山梨学院・安倍一雄監督)

 一方、米子北は加藤との1対1に負けることは割り切り、加藤の折り返しやポストプレーの次をしっかりと防ぐこと、そして加藤をゴール前でプレーさせないことに集中した。センターバックを務めた三原貫汰は「考えていたとおりにうまくいきすぎた」と述懐する。

「代表(U−17や18)に選ばれるような選手は自分たちのチームにはいません。 そこでやられた時にどうするかという謙虚な気持ちでできたのが良かった。加藤くんにはゴール前でやらせないというイメージだった。他の選手が来たら、その選手を抑えていくという感じでした。加藤くんに1点はやられた。怖かったが決定的な場面はあまり作られなかった」(三原)

敗戦の中でも成長した姿を見せる

加藤(9番)はピッチ上で大人な振る舞いを見せ、成長を感じさせた 【写真は共同】

 1回戦で選手権を去ることになった加藤だが、ラフプレーでファウルをとられた味方選手とレフェリーの間に割って入って仲間をなだめ、相手に謝った。負けていても笑顔を見せてチームを明るくさせたり、凡ミスには声を荒げて緊張感を与えた。前半の判定に不服を示した後、後半キックオフ前にはレフェリーとコミュニケーションをとったり、ピッチの上での大人な振る舞いも記憶に残った。「ああいうところは大人になりましたよね」と安倍監督は目を細める。

「以前は、そういうところでイエロー(カード)をもらってしまったり、自滅していくタイプだった。あれだけ目立つ奴なので、あいつをキャプテンにしたことによって彼自身も成長した。そこを望んだわけではなかったのですが、結果的にそうなった」(安倍監督)

 1点を追う場面ながら笑顔を見せていたシーンについて、加藤はこう語る。

「3年生全員で『苦しくてもつらくても、初心を忘れないで笑顔で頑張ろう』と話し合って、今年のスローガンは『笑顔でやっていこう』となりました。『笑う門には福来たる』といいますが、笑っていれば絶対に良いことが起きます。逆に険しい表情をしていたら、神様は遠のいていくと思います。だから試合中も自分が率先して笑顔でやれば、より福が来ると思ってました」(加藤)

卒業後は早稲田大学へ

 プロ志望の加藤だったが、山梨学院を卒業後は早稲田大学に進む。

「大学で人間としても磨き上げてもう一回プロへの道を切り開けるように自分で努力し、Jリーグ、海外、ワールドカップの舞台を目指したい。大学に行ったら、高校みたいに取り上げられることもなくなり、名前も出なくなる。静かに成長していくと思いますけれど、いつか『Jに内定しました』と戻ってきた時に『あのときの加藤か。あのときよりパワーアップしているな』と思われるような選手になって帰ってきたいです」(加藤)

 時に泣き声になりながら真摯(しんし)に決意を述べる加藤。しかし、 このチームの解散を目前にしても、「自分が頑張って笑顔でやっていけるといいかなと思います」と、スローガンを最後まで貫こうとしていた。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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