大阪桐蔭を支えたエースの矜持 ある言葉を信じ続けた2年半

沢井史

新たな目標へ体を動かす日々

大阪桐蔭のエースとして今春のセンバツ優勝に貢献した徳山。早稲田大に進学し、4年後のプロ入りを目指す 【写真は共同】

 11月下旬の大阪桐蔭野球部グラウンド。本格的に始まった冬練習のランニングの選手たちの列の中に、髪が伸びた選手の姿がちらほら混じっていた。よく見るとそれは3年生だ。現役を引退し、もう3カ月。10月に国体が終わり、練習は強制参加ではないが今年の3年生は例年以上によくグラウンドに顔を出しているという。

 その中に夏まで背番号1をつけた徳山壮磨の姿もあった。体重はやや増えたと言うが、元々細身だったせいか、太ったという印象はない。先日、早稲田大から合格通知をもらい、ようやくひと段落するところではあるが、練習はほぼ毎日続けている。

「やっぱり体を動かしていないと落ち着かないんです。現役を引退して、自分の時間が出来てゆっくりできるのはいいんですけれど、ずっと家にいてもウズウズしてしまうというか……(笑)。休みはたまにあるくらいでいいです。大学が決まって新たな目標もできたので、今は体作りをしっかりやっていこうと思っています」

腕が振れない…もがき続けた1年

 兵庫県姫路市出身。中学時代はヤングリーグの夢前クラブに所属し、当時の最速は135キロ。中学1年から入学を志した大阪桐蔭に速球派投手として入学したが、全国からトップレベルの選手たちが集うチームの中で、最初はとにかくもがき続けた。1年時は自分より先に実戦デビューする同学年の投手もいた。

「1年生のころは、同学年の投手の中でも自分は実力で見ても後ろの方。それでも自分は下を見ずに、前だけ見ていこうって。今はダメでも1年後は自分が必ずエースになってやるというくらいの覚悟を持って練習していました」

 だが、1年の秋の終わり頃、シート打撃に登板するも急にストライクが入らなくなった。体の状態には問題はないのに、マウンドに上がるとなぜか腕が振れない。やっとストライクが入れば大きい当たりを飛ばされ、投げるたびに失点を重ねた。

親のアドバイスで乗り越えた壁

「マウンドでビビッてしまっていたんです。投げても投げても打たれて……。親に電話をした時に泣いてしまったこともありました。その時に“こうなったら、打たれてもいいって思うくらいの気持ちでどんどん投げ込めばいい。この壁を乗り越えれば大きく成長できるよ”って言われて。すぐには良くはなりませんでしたが、今は失うものもないし、このままどんどん投げ込んでいけばいいと思えるようになりました」

 出場が決まっていた昨春のセンバツ前の練習のシート打撃で打撃投手を直訴。とにかく投げて自信を取り戻すしかないと思い、連日マウンドに立ち続けた。そのうち、投げるたびに怖いもの知らずになっていく自分がいた。そこから一気に調子が上がり、センバツではケガをした投手に替わり急きょメンバー入り。

 春の府大会では当時のエースの高山優希(北海道日本ハム)が腰を痛めて投げられなくなり、エース番号を背負うことになった。「エースという気持ちで投げてみろ」という西谷浩一監督の言葉を受けて奮い立ち、決勝で履正社に敗れはしたが、全7試合でエースとして役目を全うした。

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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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