大阪桐蔭を支えたエースの矜持 ある言葉を信じ続けた2年半
新たな目標へ体を動かす日々
大阪桐蔭のエースとして今春のセンバツ優勝に貢献した徳山。早稲田大に進学し、4年後のプロ入りを目指す 【写真は共同】
その中に夏まで背番号1をつけた徳山壮磨の姿もあった。体重はやや増えたと言うが、元々細身だったせいか、太ったという印象はない。先日、早稲田大から合格通知をもらい、ようやくひと段落するところではあるが、練習はほぼ毎日続けている。
「やっぱり体を動かしていないと落ち着かないんです。現役を引退して、自分の時間が出来てゆっくりできるのはいいんですけれど、ずっと家にいてもウズウズしてしまうというか……(笑)。休みはたまにあるくらいでいいです。大学が決まって新たな目標もできたので、今は体作りをしっかりやっていこうと思っています」
腕が振れない…もがき続けた1年
「1年生のころは、同学年の投手の中でも自分は実力で見ても後ろの方。それでも自分は下を見ずに、前だけ見ていこうって。今はダメでも1年後は自分が必ずエースになってやるというくらいの覚悟を持って練習していました」
だが、1年の秋の終わり頃、シート打撃に登板するも急にストライクが入らなくなった。体の状態には問題はないのに、マウンドに上がるとなぜか腕が振れない。やっとストライクが入れば大きい当たりを飛ばされ、投げるたびに失点を重ねた。
親のアドバイスで乗り越えた壁
出場が決まっていた昨春のセンバツ前の練習のシート打撃で打撃投手を直訴。とにかく投げて自信を取り戻すしかないと思い、連日マウンドに立ち続けた。そのうち、投げるたびに怖いもの知らずになっていく自分がいた。そこから一気に調子が上がり、センバツではケガをした投手に替わり急きょメンバー入り。
春の府大会では当時のエースの高山優希(北海道日本ハム)が腰を痛めて投げられなくなり、エース番号を背負うことになった。「エースという気持ちで投げてみろ」という西谷浩一監督の言葉を受けて奮い立ち、決勝で履正社に敗れはしたが、全7試合でエースとして役目を全うした。