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小林、伊東らFW陣はアピールできたのか?
ロシアへの切符をつかむために必要なこと

前半3分に幸先よく先制したが……

EAFF E−1サッカー選手権は国内組にとってW杯本大会に生き残れるか否か、重要な大会だった
EAFF E−1サッカー選手権は国内組にとってW杯本大会に生き残れるか否か、重要な大会だった【Getty Images】

「自分にとっては最後のチャンス。結果にこだわりたい。チャンスに顔を出している部分はフロンターレでいつもやっているようにできているので、最後の精度を高めていければなと思います」


 12月12日に行われたEAFF E−1サッカー選手権第2戦の中国戦で値千金の先制弾をたたき出した小林悠がサバイバルへの強い意気込みを示した通り、16日の最終戦・韓国戦は、日本代表の国内組にとって極めて重要な一戦だった。半年後に迫った2018年ワールドカップ(W杯)本大会メンバーに生き残れるか否か。その行方がライバルとの大一番に懸かっていると言っても過言ではなかった。


 とりわけ、攻撃陣にはゴールという結果が強く求められた。ここまで日本のゴールは9日に行われた初戦の北朝鮮戦で井手口陽介が挙げた決勝弾と、中国戦で小林、昌子源が奪った合計3点。2連勝と結果は出ていたが、攻撃陣の得点という意味では物足りない。エースFWの座に躍り出た小林には、韓国戦で勝利を引き寄せる決定的ゴールを決め、4年前の13年韓国大会で得点王に輝いた柿谷曜一朗の再現を果たしてほしいという期待が大いに高まった。新スピードスターとして台頭した伊東純也、ジョーカーとして存在感を高める川又堅碁にも得点に絡む仕事が必要不可欠だった。


 日本は頭からスタートダッシュを披露。開始1分も経たないうちに左サイドバックの車屋紳太郎がオーバーラップし、鋭いマイナスのクロスに小林が飛び込むという決定機を作る。直後には右サイドのスローインから小林、土居聖真とつながり、ペナルティーエリア内に飛び込んだ伊東がPKをゲット。これを小林が決め、日本は序盤3分に先制点を手に入れる。小林と伊東がゴールに絡んだことで、彼らのロシア行きのチャンスがより一層、広がったと思われた。


 ところが、そこからの日本は受け身に回り、韓国に主導権を握られる。日本にとっての最大のポイントは196センチ長身FWキム・シヌクをどう封じるかだったが、13分には左クロスからヘディング弾を許す。この場面で伊東は攻め上がった左サイドバックのキム・ジンスの対応に一歩遅れ、決定的クロスを上げさせてしまった。


「自分のところで2対1の状態で、出ていいのか出ちゃいけないのか難しいところだった」と背番号14をつける男は苦渋の表情を浮かべた。背後にいる植田直通、カバーに入った井手口らとの連係ができていない急造チームの難しさを改めて実感したようだ。

1−4という結果以上の完敗

2連勝したものの、韓国戦は1−4の完敗
2連勝したものの、韓国戦は1−4の完敗【Getty Images】

 同点に追いつかれた日本は相手の勢いにのみ込まれる。前半23分にFKの名手、チョン・ウヨンに精度の高い一撃を決められ、35分にはキム・シヌクに3点目をたたき込まれる。巻き返しを図ろうとしても、最前線の小林は孤立。右サイドの伊東も強引な突破を試みるものの、相手に奪われたり、滑ってボールを失うなどのミスが続く。左サイドの土居もうまさはあっても怖さを出せない。攻撃陣からは焦燥感ばかりが見て取れた。


 日本はシュート数2対10という圧倒的劣勢を跳ね返そうと後半に挑んだが、強固な守備ブロックを形成する韓国に跳ね返され、シュートさえ打たせてもらえない時間帯が続く。ハリルホジッチ監督は21分、井手口に代えて初キャップの三竿健斗をピッチに送り出し、その4分後には伊東に代えて川又を投入。2トップにして前に圧力をかけたが、日本がその後、フィニッシュにまで持ち込めたのは終盤の3本のみだった。


 後半35分に車屋から折り返しを受けて小林が強引に打ったのが1本目のシュートで、残り2本は川又だ。終盤登場した阿部浩之の右クロスに反応した背番号9が豪快なヘッドを放った後半39分の場面がこの日、最大の好機だったが、「韓国のデ・ヘア」の異名を取るGKチョ・ヒョヌに左手1本で防がれる。アディショナルタイムの左足ボレーも守護神にキャッチされ、万事休す。ボール支配率こそ50.2%対49.8%と微妙に上回ったものの、シュート数は5対16。攻め手を欠いた日本は1−4という結果以上の完敗を喫した。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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