「日韓戦を戦っていなかった」日本 1−4というスコア以上に深刻な問題

宇都宮徹壱

勝負に徹するでもなく、テストと割り切るでもなく

ハリルホジッチ監督の采配にも疑問が残った日韓戦。日本代表にとっては最悪の年越しとなってしまった 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 かくして日本は、引き分けでも優勝という有利な状況を生かせぬまま、歓喜に沸くライバルを傍観することを余儀なくされた。それ以上にショッキングだったのが、韓国に何もさせてもらえないまま1−4の大差で敗れてしまったことだ。60代のベテラン記者たちは、異口同音に「こんなに点差が開いた日韓戦は記憶にない」と語っている。調べてみると、1979年6月16日にソウルで行われた日韓定期戦で同スコアがあった。チーム最年長の今野が生まれる4年前の昔話だ。試合後、日本のゴール裏から久々に猛烈なブーイングが発せられたのも、当然であろう。

 印象的だったのが、試合後のシン・テヨン監督の会見。今回の日韓戦(彼らが言うところの「韓日戦」)は、彼にとってはリベンジの場でもあった。U−23韓国代表の監督だった昨年、カタールで行われたリオデジャネイロ五輪のアジア最終予選(AFC U−23選手権)決勝で日本と対戦。試合は2−0でリードしていたものの、見事にひっくり返されて2−3で敗れている。「この逆転負けは、私の監督としてのキャリアに大きな傷を残した」としながらも、韓国の指揮官は「今日も絶対に勝たなければならない中、重圧も大きかったが、過去の失敗の経験が大いに役立った」と総括している。

 そういえば、旧知の同業者が「韓国だけが日韓戦を戦っていた」とSNSに書いていた。至言だと思う。逆説的に言えば、この日の日本は「日韓戦を戦っていなかった」わけで、この事実は重い。今大会で選ばれた選手たちは、口々に「優勝して初めて(自分たちが)評価される」と語っていた。そうした覚悟があったからこそ、内容が悪いながらも初戦の北朝鮮戦を競り勝ち、続く中国戦も初戦以上にスクランブルな陣容ながら勝利できたのではないか。ところが最後の韓国戦では、選手たちのプレーから「W杯の最終メンバー23人枠を勝ち取る」ための気迫も知恵も伝わってこなかった。これはデュエル(球際の競り合い)以前の問題と言わざるを得ない。

 ハリルホジッチ監督の采配についても、およそ納得できるものではなかった。勝負に徹するでもなく、テストと割り切るでもなく、スタジアムに詰め掛けた3万6645人の観客の多くを失望させてしまった。「W杯は別物」とか「(今大会の)2勝は素晴らしい結果」というコメントも、今は虚しく響くばかりである。韓国に敗れたことだけを非難しているのではない。本大会までの貴重な1試合(しかも日韓戦という好カード)が、無為に消費されてしまったことに度し難い不満を覚えるのだ。指揮官は会見を「よいお年を」と締めくくったが、日本代表にとっては最悪の年越しとなってしまった。次に代表戦が見られるのは、本大会が間近に迫る来年3月の予定だ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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