Jクラブが阿波おどりに参加する理由 J2・J3漫遊記 徳島ヴォルティス<後編>

宇都宮徹壱

J2で苦戦が続く中での阿波おどりへの参加

企業チームからJクラブになる激動の時代にキャプテンを務めた谷池洋平。現在は強化スタッフ 【宇都宮徹壱】

 GMの米田が新会社設立に悪戦苦闘しているころ、大塚製薬サッカー部は04年のJFLでも優勝して連覇を達成した。最大のライバルであるHonda FCとのアウェー戦では、相手サポーターが「徳島J1まで突っ走れ! いつかは浜松も!!」という横断幕を掲出。これには大塚のサポーターもいたく感銘を受けたという。かくしてJFL2連覇という看板を引っさげて、大塚製薬は「徳島ヴォルティス」と名を変えてJ2の舞台に参戦する。開幕戦となったアウェーのベガルタ仙台戦には3−0で勝利。続く湘南ベルマーレとのホーム開幕戦は、2−3で敗れたものの8,226人もの観客が集まった。

 当時サポーターだった加藤は、10年越しで実現したJリーグの舞台をこう表現する。「まず、観客の数が明らかに増えましたね。これまで自分が応援している選手が、より多くの人たちに見てもらえるのが、とにかくうれしかったです。やっぱりJは違うなあと」。しかしほどなくして徳島は、アマチュアとプロの違いを痛感することになる。勝ち切れずに引き分ける試合が続き、ホーム初勝利は6月3日の第15節、横浜FC戦(2−0)まで待たなければならなかった。大塚製薬時代からプレーしてきた当時のキャプテン、谷池洋平は語る。

「やっぱりカテゴリーの違いは感じましたね。JFL時代、手ごわい相手はHonda FCくらいで、他のチームに対してはこっちが主導権を握りながらのサッカーができていました。ところがJ2では相手のレベルが一気に上がって、ディフェンス面での脆さが明らかになっていきました。試合も守備に回る時間帯が圧倒的に増えましたね」

 なかなかチームが勝てず、やがて季節は春から夏へと移る。そのころ、徳島のグラウンドでは、いささか奇妙な光景が見られるようになった。トレーニングを終えた選手たちが、クラブハウスに戻らずに阿波おどりの練習をしているのである。稽古を付けているのは、娯茶平(ごぢゃへい)という最大規模の連から派遣されたカリスマ的な踊り手だ。セッティングしたのは、GMの米田。この年の徳島市阿波おどりで、「徳島ヴォルティス連」を出すことを決定したのも彼である。なぜ、プロサッカークラブが連を出すのか。そこには、米田なりの確固たる信念があった。

「Jリーグは地域密着が基本。では、徳島の地域密着が何かといえば、やっぱり阿波おどりですよ。しかも連を出すことで、ヴォルティスの存在を広く知ってもらうことができる。誕生して間もないクラブだし、知名度もそんなにあるわけではない。だったら、阿波おどりがいい機会になるんじゃないかと。幸い、主催は徳島新聞社だし、私がいた事業部が一手に引き受けています。いつ、どこでヴォルティス連に踊ってもらうか、すべてこっちでコントロールできます。ですから選手には、必要以上の負担をかけないように配慮もしました」

阿波おどりの参加に積極的だったリカルド監督

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 シーズンの真っただ中で、しかもなかなか勝てない時期への阿波おどりの参加。GMの決定に反発を覚える選手も、中にはいたのではないかだろうか。元キャプテンの谷池は「そういう選手も、いないわけではなかったですが」とした上で、こう続ける。

「もともとこっちにいた選手は、阿波おどりの重要性は理解していましたから、そんなに抵抗感はなかったと思います。僕自身、キャプテンとして説得した記憶もないですし(笑)、踊りの練習もみんな真面目にやっていました。初めて連として踊ったときは、『ああ、本当にプロクラブになったんだな』と実感しましたね。僕らはプロだから連として呼ばれたわけで、企業チーム時代には考えられなかったことですよ」

 谷池によれば、徳島に1年でも所属した選手であれば、誰もが阿波おどりが織りなす熱気と迫力と美しさに圧倒され、やがて踊りの輪の中に抵抗なく入っていくという。そういえば徳島時代の柿谷曜一朗も、最初の年は恥ずかしそうにしていたが、2年目以降は自ら連の前方で楽しそうに踊っていたそうだ。かくして05年からスタートしたヴォルティス連は、一度も途切れることなく現在も続いている。ただし、続けていくには苦労もあるようだ。ホームタウン推進部部長の谷直和はこう指摘する。

「8月11日が祝日(山の日)になったじゃないですか。そこにJリーグの試合が入ってくると、翌日からの阿波おどりに選手を参加させるのは難しくなりますよね。今年もけっこう日程的に厳しくて『やめようか』なんて話もあったんです。でも、こういう伝統が一度途切れてしまうと、次が難しくなりますよね。結局、今年は踊る回数を2回から1回にすることで、何とか参加することができました」

 とりわけ昇格争いを続けている今季は、強化部も参加にはいささか慎重だったとも聞く。しかし監督のロドリゲスは、自ら率先して阿波おどりの参加に同意した。「監督はもともと、動画サイトで調べていたみたいです。お遍路のことも知っていて、『寺はいくつあって、全部回るのにどれくらいかかるんだ』と聞かれたこともありました(笑)。それくらい多様性を受け入れ、その土地の文化になじもうとしているようです」。そう語るのは、現在は強化スタッフとして働く谷池である。

 なるほど、徳島は実に素晴らしい監督と巡り合うことができたんだな、とあらためて思った。その後、最終節で東京ヴェルディに敗れたことで、残念ながら今季の昇格プレーオフ進出とはならなかった徳島。それでも来季こそは、季節外れの阿波おどりがスタジアムで拝めることを期待したい。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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