「満員の会場でお客さんと涙を流したい」新会長・太田雄貴が目指すフェンシング

田中夕子
 リオデジャネイロ五輪での引退表明から1年以上が過ぎた2017年11月。フェンシングウエアではなく、スーツ姿で。そしてもう「選手」ではなく、「会長」という新たな立場で太田雄貴は現れた。
「ギラギラ感は僕にはないですよ。もう丸いです。体も心もすっかり丸くなりました(笑)」
 31歳という異例の若さで日本フェンシング協会会長に就任した今、描く未来とは。12月7〜10日開催の全日本選手権(東京都・駒沢体育館)をはじめ、“フェンシングのこれから”について、太田会長に話を聞いた。
※年齢は会長就任時点。

8月に協会会長就任 着手した改革

8月に31歳の若さで協会会長に就任した太田雄貴(左)。フェンシング界の発展に向けた挑戦がスタートした。写真は8月撮影、東京五輪フェンシング会場である千葉県の森田健作知事と 【写真は共同】

――今年8月にフェンシング協会会長就任、まず経緯から聞かせて下さい。

 この年齢で会長になること自体が日本のスポーツ界ではありえないことだったので、他の競技団体の方や選手からも「何があったんですか」と驚かれました。日本のフェンシング界として、これまでは「北京で初めてメダルを取るぞ」といういわゆる個人商店のような小さいところからスタートして、もう一歩上に行くためには、その過程を見て来た人間がこの先を描いたほうがいいだろう、と。競技人口の増加、財政基盤の安定を目指すこと、フェンシングファンを増やすこと、普及という面でこれまでよりも多視点で取り組んでいくためには上が変わらないと、ということで、年齢は若かったですがチャレンジができるということもあり、引き受けました。

――実際に11月の高円宮杯ワールドカップや今年12月の全日本選手権、選手発信のイベント開催などさまざまな新しい取り組みがスタートし始めていますね。

 まずはスポンサーさん、企業と競技団体のエンゲージメントを強くしていくことを考えています。スポンサーさんのワッペンを(ウエアに広告として)付けていくら、という時代はもう終わっていると思っていて、ワッペンをつけるだけでなく、企業さんのニーズと向かい合って一緒に何ができるか、ということを考えて取り組んでいます。今までは選手とファンのタッチポイント(接点)が少なすぎて、「フェンシングを見に行きたい」と思わせるきっかけが、なかなかなかった。そこをどう協会としてつくっていくかということを何よりも大切にしたいと思っています。

 実際、選手たちにも「集客できない選手はダメだ」と言っていますし、どうすれば来てもらえるのか、自分が集客や競技の発展に貢献できるか。とりあえず思いつくことは全部やってみて、いいものを残しながら、これから1、2年後には形にしたいですね。少なくとも国内で開催する全日本選手権と高円宮杯はチケットが即座に売り切れて、会場が満員になるのを目指さないといけない。お金を払ってでも見てもらうような競技に生まれ変わる必要があると思いますし、大人から子供まで幅広い年齢層がフェンシングをするような環境をつくること、アートや音楽と組んで、今までと違ったフェンシングの見せ方をしていきたいと思います。

――全日本選手権で、すべての種目の決勝を同じ日に設定したのも狙いがあるそうですね。


 今までは金曜、土曜、日曜と種目ごとに決勝が行われていましたが、その方式では1日の試合時間も長くなるので集客につながりませんでした。それならば短く、決まった時間でいいところが全部見えるパッケージにしたほうがいいと考えて、全日本選手権は男女の6種目決勝を日曜日の13時半から行い、長くても3時間で終わらせる。これによって全種目のチャンピオンが決まる瞬間をお客さんに見てもらうことができるようになります。

 競技者の目線では、木曜に予選をやって日曜まで空くのが大変だ、という意見もありますが、何かを変えようとするには反発もあって当然。去年と同じは“和睦衰退”だと思っているので、去年よりも今年、今年よりも来年がベターになるためには変えるところを変えていかないとダメだと思うので、今回からガラッと変えることにしました。ぜひ、会場に足を運んで全種目のチャンピオンが決まる瞬間を見てほしいですね。

選手時代の自分へ「よく31歳まで頑張った」

フェンシング男子フルーレ個人の初戦で敗れ、感慨深げな表情でマットに触れる太田雄貴。試合後に現役引退の意向を表明した 【共同】

――少し話を前に戻して、太田さんが選手時代には4度の五輪出場、北京、ロンドンで2つのメダルを獲得しました

 経歴だけはすごいんですよ(笑)。内容は伴っていないけど(笑)。僕自身、人生を一番大きく変えられるチャンスが五輪だと思っていました。ただ、あまり過去は見ないので、五輪のメダルも通行手形だと思っているのですが、スティーブ・ジョブズの言葉「コネクティング・ザ・ドッツ(点と点をつなげる)」がすごく好きで。「未来はこうつながるんだ」と信じて今は毎日を努力するほかなくて、その過程で過去を振り返った時に、あの時の選択は正しかったと思うこともあれば、この選択は間違えていたと思うこともある。そこから何を学ぶかということが重要だと思っているので、僕はリオの敗戦、1回戦負けですら、ものすごく前向きに捉えています。事象だけで見ればいまだに夢に出てくるし、今でもつらい思いになりますが、あれがあるからもう一度頑張るぞ、と思えた。人生において五輪に変わるような何かを見つけて成果を挙げるぞ、という思いを持てたのはあのリオがあったからです。

――もしもリオの結果が違っていたら、もう1回東京五輪を目指したかもしれない?

 いや、それはないです(笑)。東京五輪・パラリンピックの招致をした時、これで若い世代が目標となる場面や場所をセッティングできたんだ、という思いしかなかった。そもそも僕は地元で試合をする緊張に耐えられる自信がないです。無理ですね、寝られなくなっちゃうかもしれない(笑)。フェンシング全体を見渡して誰が勝利に近いかを“俯瞰視”した時に敷根(崇裕)、西藤(俊哉)、松山(恭助)、鈴村(健太)。この4人を含めた若手の伸びと可能性を含めると、彼らのほうが勝てる可能性は強い。そう考えると結構スッキリ辞められたし、欲が出にくくなりますね。よく31歳(※引退セレモニー時点。リオ五輪時点では30歳)まで頑張ったなというのが本心です。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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