高校球界の神宮大会への意識が変化!? 勝負に徹した明徳義塾が秋の日本一
創成館は春へ投手陣の競争激化
準優勝の創成館は神宮大会でエース川原以外の投手陣も好投し、センバツへ向けて投手の競争が激化した 【写真は共同】
今大会では、背番号11の伊藤大和(2年)、背番号14の七俵陸(2年)が好投し、エースの川原陸(2年)を脅かす存在となった。さらに今大会では九州大会決勝で先発した近藤聖真(2年)がベンチ入りできなかった。捕手で副主将の平松大輝(2年)は「2年生だけで投手は20人近くいる」と明かし、各投手の競争を促した。出場が有力の来春のセンバツへ向けて、どの投手が競争を勝ち抜くのか。楽しみである。
大阪桐蔭の中川卓也主将(2年)は「負けていい試合は1つもない」と悔しさを表した。近畿大会制覇後、「目標は無敗。次は神宮大会を優勝することに目標を設定できた」と話していただけに、準決勝での完敗(vs.創成館/4対7)は悔しかっただろう。一部で『最強世代』という言葉が出ていたように、戦力的には夢を見られるチームだ。それだけに完敗を目にした時、4冠全てを制した97〜98年の横浜の偉大さをあらためて感じた。
『力不足』など試合を終えて見える課題は多い。でもその課題は、本気で目の前の試合を勝ちにいってこそより大きくなり、次につながる。『センバツの前哨戦』という言葉を指導者も含めて1人でも思ってしまうとその課題は小さくなる。中川主将の悔しさあふれる言葉を聞いた時、本当に勝ちたかったという気持ちと来年の大阪桐蔭がさらに強くなることを確信した。4冠制覇の夢は最初の大会で破れたが、これをバネに残り、3つの全国大会制覇を狙って強くなっていってほしい。
高校野球は甲子園だけではない――
根尾(写真左)ら潜在能力の高い選手を数多く擁して「最強世代」と呼び声高かった大阪桐蔭。神宮大会優勝を目標にしていたが準決勝で敗れた 【写真は共同】
「センバツはあくまでも翌年の1月の選考委員会で選抜されて出られる。秋のチャンピオンシップはあくまでも神宮大会。これは優勝すれば出られるんですから。長年の夢であったこの大会に出られてうれしいです」
また、あるチームのメンバー外の選手たちは、バスに向かう前にこう話していた。
「来年は絶対に神宮に来よう」
明治神宮大会は各地区の優勝校がそろうようになったのは2000年からと歴史が浅い分、長い年月で文化となっている甲子園大会との価値観の違いは今でもあるかもしれない。もっと言えば、ここで負けても、先の大会で取り返せる。これは春のセンバツも同じで、春に負けても夏に取り返せる。逆に夏の甲子園は上位に進出しない限り、基本的には4大大会最後の国体には出場できない。
明治神宮大会が歴史を重ねて甲子園と同じだけの価値観を全ての高校野球人が持てる時が来る可能性を持った大会であることは、今大会に関わっているとわかる。高校野球の全国大会は甲子園だけではない。神宮〜春〜夏〜国体と続く流れを大事にして、高校野球200周年へと向かっていってほしい。
最後に公認野球規則より、試合の目的に記載されている1.05の文面を紹介して神宮大会総括を締めたい。
「各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする」