阪神・狩野、波乱万丈の現役生活17年「野球なしでは生きていけない」

週刊ベースボールONLINE

「一人じゃないから乗り越えられた」

最後の最後まで捕手にもこだわり続けた狩野 【写真:BBM】

 09年に127試合に正捕手として出場しながら、球団は翌年メジャーリーガーの城島を獲得。外野へのコンバートを余儀なくされる。そこから腰痛となり、13年は育成選手登録に。そこからはい上がった狩野は試合に出たいという強い思いから、捕手としてのこだわりを心の奥にしまい、外野手として、そして、代打として生きていくことを決意していく。

──その中で、腰痛を発症しました。痛恨の極みです。

 捕手のときから少しその兆候はあったんです。捕手で出たかったですけど、家族もいるから生活がかかっている。そのためには試合に出たい、という葛藤とストレスが腰に来たのだと思いますね。腰痛の8割はストレスからと言われますからね。この時期が一番いろいろなことを考えました。

──もしそのときに独身だったら、そういうことを考えたかな、と思うことはありますか?

 多分、独身だったら育成と言われたときに、引退をしていたと思います。一人じゃないからこそ、09年を乗り越えられたと思いますし、ここまでやってこられた。もしかしたら、けがをするよりも前に辞めていたかもしれません。

──そういう我慢する思いもあったんですね。

 僕の性格上、イラッとするとプレーにその態度が出たり、周りに当たったりしていた。一人だったらそこで終わっていたかもしれません。でも、もともと自分のためにと思って行動するタイプではない、家族や友人のために動くタイプですので、やはり、我慢をしていたと思いますね。

──そういう部分では捕手向きの性格なのでしょうか?

 入団当初、お山の大将的な部分があって、吉田(康夫)コーチからすごく直されました。「それじゃ、捕手としては飯が食えないな」と言われましたしね。もともとは人見知りで無口でした。「ピッチャーに好かれろ。もっと気を配れと」などと口酸っぱく言われ、徐々に性格が変わっていきました。

捕手登録を外れたのは「ショックでした」

外野手登録となり、打撃でレギュラー取りを目指した。14年には掛布打撃コーディネーターとともに打撃改造に励み、勝負強い打撃を身に付けた 【写真:BBM】

──一方、外野手への転向はいろいろな思いがあったわけですね。

 捕手登録のまま外野手をやりたかった、というのが本音です。ただ、そこはチーム事情があり、僕のワガママを言うわけにはいきませんからね。最初は捕手登録を外すと言われたときは、ショックでしたね。ずっと捕手をやりたかったので、いつかは捕手登録に戻りたいと最後まで思っていました。

──ミットを持ってキャッチボールもされていましたよね。

 ああ、それは1軍で代わりの捕手がいないという状況のときですね。いつでも行ける準備をしていこうと。でもやはり捕手をやりたかったというかね……。

──捕手の良さとは何でしょう?

 良さと言われると、何もないですよ(笑)。つらいことが多過ぎて……。試合中にみんなのほうを向いてプレーするところは楽しいですね。野手の動きを見るのは勉強にもなります。そして野手、投手と向き合いながら、見渡しながらプレーできるポジションです。外野は3人いる。内野は4人。捕手は1人。この1人というのがポイントですね。

──そうですね、そこで全員を見渡せます。

 外野だと打球が飛んでこないとプレーに参加できない。しかし、捕手はすべてのプレーに関わるんですよ。いろいろな人と絡み合うポジションですし。捕手が守る場所は、野球の中で一番の密集帯ですよ。打者、捕手、球審とね(笑)。特別です。

──そこに配球なども入ってきますしね。

 配球に関しては一度も面白いと思ったことがないです。絶対に大丈夫と思った配球を試し、簡単に打たれたり。だから配球は難しい、奥が深いなあ、と思いますね。抑えたときには、すごくうれしいですよ。資料やビデオなどで資料を見返したりして、臨んだ結果ですからね。そういう経験もして忍耐強くなったと思います。

──もともと我慢できる素養があったとか?

 それはやはり親の影響があったと思いますね。兄、姉を大学に行かせて一生懸命働いていた。その背中を見て育ったというのもあるかもしれません。それに先輩の矢野(燿大現2軍監督)さんの背中を見て育った。矢野さんは、チームのことを思って怒っていましたから。そういうのが本当の捕手なんだと。

今後は野球評論家として勉強していきたいと語る 【写真:BBM】

──いい先輩もすぐ近くにいた。

 もちろんです。僕は優勝したときも含め、いろいろな順位を経験しました。その中で、今思うのはチームが優勝できないときには、中堅クラスがいないときですね。ベテランと若手だけだと勝てない。今の広島などは中堅クラスがレギュラーですから強いですよ。ここ最近の阪神は、僕も含めて中堅クラスがうまくいっていなかったかな、と思いました。でも来年が楽しみですよ。

──俯瞰する感じでチームを見ているんですね。

 けがをしたからこそ、そういうふうに見られるようになったんだと思いますね。その時期は野球ができないから、外からチームを見るような感じになるんです。

──育成も同じような感じですか?

 そこはまったく別です。何にもないです、育成は。きつい思い出しかないです。今後、育成を経験して良かったと言える時が来るかもしれないですけど。今でも思い出したくない時期です。

──今後の活動はどうなりますか。

 野球評論家としてやっていきたいです。いろいろなチームのことを見て勉強していきたいと思っています。そういうことをさせていただけるように頑張っていきたい。野球なしでは僕は生きていけないので、頑張ります。

(取材・構成=椎屋博幸、写真=早浪章弘、BBM)

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