
ペナントレースはセ・リーグは広島が2年連続、パ・リーグは2年ぶりに福岡ソフトバンクが優勝。続くクライマックスシリーズ(CS)では、レギュラーシーズンでセ・リーグ3位の横浜DeNAが日本シリーズ出場を果たすなど、実にさまざまなことがあった2017年のNPB。10月26日にドラフト会議も終了し18年の陣容も整いつつある今、若手選手は来季の1軍活躍を誓って一日一日を大事に過ごしている。
そこで、18年に1軍で活躍が期待されるホープをピックアップ。今回紹介するのはDeNAの飯塚悟史投手である。日本文理高時代は甲子園4強入りを経験。高卒3年目投手とは思えない完成された投球術と、ピンチにも動じないメンタルの強さがウリの実戦派右腕。プロの世界でも自分の強みを発揮し、未来のハマのエースとして大きな期待がかけられる彼の球譜を今回は追っていこう。
考えを改めるきっかけとなった挫折体験
新潟県上越市出身の飯塚は、直江津中時代から大きな実績を残している。11年の3年秋には、Kボールの新潟県選抜チーム「新潟KBクラブ」に選出され、第6回KB全国中学生秋季野球大会で決勝まで進出。決勝戦ではMAJOR HYOGOに1対2で惜敗も準優勝に輝いた。そして飯塚は高校の進学先を地元・日本文理高に定める。その理由について、飯塚は後にこう語っている。
「中学1年の時に(09年の)準優勝を見て、今まで1回戦敗退が当たり前だった新潟県にこんな成績を残せるチームがあるんだと、すごく感銘を受けました。新潟県の高校で甲子園に行くというのがずっと夢だったので、ここしかないと思ったんです。あと中学の時は、自分で投げて、鎌倉(航・捕手・日本文理高−法政大)と僕が打つみたいなチームだったので、打力のあるチームに行きたかった。だから強打の日本文理は魅力的でした」
ただ、飯塚の高校時代は決して順風満帆ではなかった。1年秋に新潟県大会を制して出場した秋季北信越大会では、松商学園高相手に5回コールド負け。2年夏には、新潟大会決勝戦で、2回3四死球2失点で降板。甲子園では背番号1を与えられながらも初戦の大阪桐蔭高戦の出番は4番手の終盤2イニングリリーフのみ。自身は無失点に抑えるもチームは2対10と大敗に終わる。
「新潟大会決勝戦では試合には勝ちましたが、心から喜べない試合。甲子園でも背番号1を付けさせてもらって、自分が先発すると思っていたので、先発ではないと聞いた時はショックでした。4番手で(試合の形勢が決まった後に)投げた事が、すごく悔しかった。だから普段から監督の信頼を得られるような行動とピッチングをしようと思いました」
かくして飯塚は今までスピードを追い求めていたというピッチングに対する考えを改めるようになった。