チームがひとつになったアルマトイの夜 集中連載「ジョホールバルの真実」(2)

飯尾篤史

国立競技場での韓国戦、日本は山口素弘の芸術的なループシュートで先制したが、逆転負けを喫する 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 1993年10月の「ドーハの悲劇」から4年。日本代表にとって悲願のワールドカップ出場を懸けたアジア最終予選は97年9月7日、ウズベキスタンを迎えた国立競技場で幕を明けた。
 三浦知良(カズ)が4ゴールを奪う活躍で6−3と勝利した日本は、灼熱のアブダビで行われたUAEとの第2戦を0−0で乗り切り、上々のスタートを切った。
 もっとも、先行きを不安視する声は多かった。
 ウズベキスタン戦では大量リードを奪いながら付け入る隙を与え、UAE戦では引き分け狙いの消極的な姿勢を見せるなど、チームを率いる加茂周の采配に批判がくすぶっていたのだ。
 加茂が「これで勝てば(ワールドカップに)行けるが、負けたら行けない」と必勝を期した国立競技場での韓国戦では、16日前の9月12日に日本国籍を取得したばかりの呂比須ワグナーをいきなりスタメンで起用。後半22分に山口素弘の芸術的なループシュートで先制したが、DFの秋田豊を投入する逃げ切り策が裏目に出て、試合終盤に屈辱的な逆転負けを喫してしまう。
 さらに10月4日、アルマトイでのカザフスタン戦でも1−0とリードして迎えた後半44分、同点ゴールを決められる。日本代表は精神的ダメージを負うとともに、4戦を終えて予選突破が大きく遠のいた。

カザフスタン戦の夜、日本サッカー協会は加茂周監督更迭を決断し、コーチだった岡田武史(右)を後任に指名 【写真は共同】

 この危機的状況に、日本サッカー協会が、大鉈を振るう。
 カザフスタン戦の夜、「とにかく流れを変えたい」と、加茂監督更迭を決断し、コーチだった岡田武史を後任に指名するのだ。午後9時半からの緊急ミーティングで指揮官交代を告げられ、加茂から最後の挨拶(あいさつ)をされた選手たちは、ショックを隠せなかった。

1/3ページ

著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント