U-17日本、フランス戦はスコア以上の完敗 ほろ苦い経験を“いいレッスン”に

川端暁彦

スコアは僅差ながら、内容では完敗

1−2とスコアは僅差だったものの、決定機の数は手元の集計で2−10の大差。完敗に近い内容だった 【佐藤博之】

 後半から日本は1対1の対応で後れを取っていた馬場をベンチに下げて、右サイドバック(SB)で先発していた菅原由勢(名古屋グランパスU−18)を中央へスライド。対人守備に定評のある彼に欧州選手権得点王の対応を託しつつ、推進力のある鈴木冬一(セレッソ大阪U−18)を左SBに投入して攻めの起点を左サイドに作る狙いをもって臨んだ。

 この狙いは相応に機能し、前半よりも攻撃的なパス回しも出るようになり、全体的に内容は良化した。ボール支配率は後半のほうが悪いのだが、前半は無駄にボールを持たされていただけだったことを思えば、後半のほうが流れは良かった。「後半頭からはかなりアグレッシブな展開になり、次につながるゲームができたかな」と森山佳郎監督が振り返ったのもうなずける。

 とはいえ、得点は遠かった。「ゴールに入るところで壁があったというか、ゴール前の質に差があった」と菅原が振り返ったように、ペナルティーエリア付近へ近づく回数こそ増えたものの、相手守備陣を崩したと言えるシーンは数えるほど。個の力で守れるDFウマル・ソレを中心とした守備陣を崩すには至らず。

 逆にフランスの見事な攻撃から後半26分に再度の失点。2分後の28分に宮代がPKを決めて1点を返したものの、これでフランスが動揺することもなく、逆に前半の消耗から日本の足も動かなくなってしまった。結局、1−2のスコアのまま、試合は終了。決定機の数は手元の集計で2−10の大差で、完敗に近い試合内容だったのは否めない。

真っ向勝負を挑んでの敗戦、この経験を糧にできるか

苦い良薬を飲み干すことになったフランス戦を経て、選手とチームがどう変わっていくか 【佐藤博之】

 最大の敗因は、機能していなかった前半のうちにピッチ上で修正をかけられなかったことだろう。主将のMF福岡慎平(京都サンガF.C.U−18)を欠いた影響もあったかもしれないが、宮代が「自分たちで試合中に改善できないといけなかった」と言うように、ポゼッションでボールを危険地帯まで運べなかったところと、中盤のボールホルダーに対するファーストディフェンスが曖昧になっていた部分については、前半のうちにピッチ上で解決しておきたかった。

 とはいえ、この敗戦で大会が終わったわけではない。森山監督は「僕らはまったく悲観的に捉えていません」と語った上で、反省材料が噴出したこと自体をポジティブに解釈した。

「対応が悪いと、こうなってしまうよということを露呈してくれました。恐らくノックアウトステージに上がれば、ヨーロッパの強豪と当たる可能性も高いと思います。そういう意味ではノックアウトステージに向けた“いいレッスン”だったと思います」

 チャレンジしての失敗が選手を育てるというのは森山監督の持論でもある。フランスに真っ向勝負を挑んで打ち砕かれたこの試合を次戦以降の糧にできるかどうかが肝心だ。「僕らはまだ何も失っていない」と指揮官が喝破(かっぱ)したとおり、本当の戦いはここから始まる。苦い良薬をゴクゴクと飲み干すことになったフランス戦を経て、選手とチームがどう変わっていくか。

 ニューカレドニアとの第3戦は恐らく控えメンバーを軸にした陣容で臨んだ上で、ラウンド16に全力を傾注することになる。そこで待つのはフットボールの母国であり、タレントぞろいの優勝候補イングランド、あるいはアジア予選(AFC U−16選手権)の準決勝で苦杯をなめさせられたイラクとなる。勝負はあくまでここから。森山監督が2年半にわたって情熱を注ぎ込んできたU−17日本代表は、たった一度の敗戦で折れるようなチームではあるまい。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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