久保建英は“他人を生かして自分を生かす” U−17W杯で漂う、さらなる飛躍の予感

川端暁彦

久保が見せる“日本人らしさ”

U−17W杯に臨む久保建英。そのプレースタイルは「他人を生かして自分を生かす」 【Getty Images】

「外国人選手みたいなメンタリティーを感じた」

 2年前、U−17日本代表の森山佳郎監督が初招集したFW久保建英のファーストインプレッションについて聞かれたときの回答である。一学年下の選手にもかかわらず、まったく物怖じすることなくピッチ外でも振る舞い、ピッチに入れば大胆不敵なプレーを見せる様子から出てきた言葉だったが、あれから2年半が経って感じられるのは、むしろ“日本人らしさ”の部分である。

 代表スタッフからは、こんな話も聞いた。FCバルセロナに所属していた時代、久保はどうにも我慢できないことがあったのだそうだ。それはチームメートの身勝手さ。試合に負けても、「1対1で対面の選手に俺は勝っていた」と言って悪びれない選手もいたそうで、そういう選手を見ると腹が立って仕方なかったのだと言う。その分、全員が勝利のために献身することが「当たり前」になっている日本のチームメンタリティーについて、久保は非常にポジティブなのだ、と。

 そのプレースタイルを一言で表してしまえば、「他人を生かして自分を生かす」だろう。相手の陣形を把握しながら良い位置に「立つ」スキルの高さがあって、パスを引き出す力があり、ボールを持てばドリブル、パス、シュートといった判断をギリギリまで「保留」できる感覚があって、敵味方の動きを見極めながらプレーを選択できる。言ってみれば、守る側に後出しジャンケンでの敗北を強いるような、そういうアクションを起こせる選手である。

U−17の久保はとても楽しそう

U−17代表合宿の様子。このチームに“帰ってきた”久保はとても楽しそう 【赤坂直人/スポーツナビ】

 U−20日本代表における久保は、内山篤監督の言葉を借りれば「さすがに彼も人間なので」、4〜5学年も年長の選手に囲まれる中で、簡単ではない面もあった。予選に参加しておらず、元々の知り合いもいない。今年は活動日数も少なかったため、どうしても“お客さん”になってしまったところもある。U−20ワールドカップ(W杯)では、良い関係を作りつつあったFW小川航基が大会早々に負傷離脱してしまったという不運もあり、最終的には「結果を残せなくて悔しい思いをした」(久保)という大会になった(ラウンド16で敗退)。もちろん、外野から見れば、当時15歳の選手としては十分に力を見せたようにも思えるし、チームにも入っていけていたように見えるが、本人からすると「15歳の選手としては」という前提自体がナンセンスに思えることだろう。チームの主軸だからではなく、「15歳の飛び級選手」として注目を集めることに対する忸怩(じくじ)たる思いもあったに違いない。

 その意味では、U−17日本代表に“帰ってきた”久保の様子を観ると、やはりU−20でプレーしていたときよりもずっと自由に羽を伸ばせているように見える。久保が合宿中にチーム内のコミュニケーションを「言いたいことも言いますし、言いたくないことも言える」と形容していたが、まさにそういう人間関係がしっかりできている選手の中に戻ってきた感触もあるのだろう。ものすごく端的に言ってしまえば、とても楽しそうに見える。スーパーサブではなく中心選手として、この大会に懸ける気持ちが自然と強くなるのもよく分かる。

U−17W杯は「絶対にやりたい」

U−20W杯で悔しい思いをした久保は、U−17W杯に向けて「絶対にやりたい」と語った 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 チームを率いる森山監督にとって「久保をチームに戻す」というのは、あくまで選択肢の1つだった。

「U−20W杯が終わったあと、久保に『お前、U−17はどうしたいの?』と聞きました。そこで『どうしようかな』くらいの反応なら、もう上でやればいいと思っていた」(森山監督)

 だが、指揮官があえてファジーに投げかけた言葉に対し、久保は真っ直ぐに「絶対にやりたいです。呼んでください」と返してきたという。森山監督は「U−20のときのリベンジをしたいという気持ちが強いのだと思う」と久保の心情を察しつつ、主軸選手としての責任を背負って戦う世界舞台がまた彼の成長を促すだろうという確信も持って、久保をメンバーリストに加えた。

 U−20でプレーしていた選手が下の年代のチームに下りてくるのだから、悪い影響が出る可能性もある。久保の態度が尊大になっているようなら、反発も出かねない。だが、そうした心配はすべて杞憂(きゆう)だ。スタッフも驚くほどスムーズに、久保はチームの輪の中に戻って来た。以前、久保に近い関係者の1人は「意外に“日本人”なんですよ。さりげない気遣いもできるし、察することもできる子です」と語っていたが、それも納得である。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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