マクラーレン・ホンダの栄光は遥か遠く 今宮純のF1ザ・ショウダウン

F1速報

3年で終わりを告げた…

シンガポールGP終了時点でわずか今季は3レースでしかチェッカーを受けていないアロンソ 【Mamoru Atsuta】

 マクラーレン・ホンダの“離婚”が正式に発表された週末、54戦目となるシンガポールGPはストフェル・バンドーンが自己ベスト7位、フェルナンド・アロンソはセバスチャン・ベッテルらのクラッシュに巻き込まれる形で今季6回目のリタイアとなった(90%以上の距離を走行した場合は完走扱い)。

 アロンソは、参戦しなかったモナコを除いて今季13戦でDNS(スタートできず)1回、DNF(フィニッシュできず)6回。原因はさまざまだが敗走の連続であった。チェッカーを見たのはスペイン、アゼルバイジャン、ハンガリーのわずか3レース(バーレーン、カナダ、イタリアは完走扱いのリタイア)――。

 マクラーレン・ホンダとしては、15年からの54戦でリタイア32回、DNS4回を数える。2台そろって完走したのは44.4%にとどまった。目指すゴールは遥か遠く、たどり着くことさえ難しく、“シーズン3”で終焉の時を迎えた。

 4年前、2013年5月16日午後4時に本田技研本社で“新生マクラーレン・ホンダ”復活が発表された。その日の午前9時に緊急記者会見を開くとの連絡が広報部から届いた。

 いままでもホンダはF1に関わる発表は、やるときもやめるときも急に知らせてくる。一部マスメディアにリーク情報が漏れ、海外で公然のニュースになってから公式に本社発表するのが恒例だった。それでも会見場には多数の専門誌記者が集まる。「ホンダF1」にファンならずとも思い入れがあるからだ。

 この発表に際し「F1活動の“第4期”という表現は避けてください」と、非公式な要望(申し入れ)があった。第1期1964〜68年、第2期83年〜92年、第3期2000〜08年。これから再開する第4期をなぜそう言わず(書かず)にいてくれとこだわるのか、当時は不可解な思いがした。

 ポジティブに捉えるなら、過去の流れとは違う志のもと、不退転な決意でF1にコミットしていく新たな姿勢を打ち出したいからなのか。1960年代第1期から2000年代第3期までのような“出入り”はもう繰り返さない。だからかつての流れ「第4期」としての復帰や復活という文言は用いないでほしい……ということなのか。

 ところが発表後、第2期マクラーレン・ホンダが築き上げた名声が一斉にキャンペーンされ始めた。コアなマニアではなく、オールドファンにアピールする狙いが透けて見えた……。あれ?

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