山縣亮太、試練の中で手にした新たな走り 「9秒台時代」幕開けの鍵握る「第2の男」

高野祐太

スタートから終盤まで伸びを含む内容

得意のスタートから終盤まで伸びのある走りを貫き、「新たな走り」を手に入れかけている 【写真は共同】

 そんな告白があったのが、全日本実業団対抗選手権男子100メートルの前日の9月23日のこと。翌24日は予選、準決勝も走って、決勝はこの日3本目だった。大阪市・長居陸上競技場の6レーンに入る。となりの7レーンには盟友で今季10秒08を出している飯塚翔太(ミズノ)がいる。

 午後3時20分、号砲一発。スタートから山縣は上体が起きていく二次加速の局面の切り替えがスムーズで、グンと加速する。後半も力まない。無理のかからない自然で伸びやかな動作。軽やかにスーッと伸びていく。何かにしばられた感じがしない、自由を貫く走りでフィニッシュラインを駆け抜けた。

 この走りに至る一つの起点ともなった山縣の気づきが、かつてあった。慶応大3年だった13年5月。練習を終えて部室に戻った山縣はこうつぶやいた。

「接地時間を(限りなく)短くすることはできないと思う。それをやっちゃうと空を飛んじゃうんで」

 それは、聞いている側には即座に理解できない言葉だった。だがよく吟味すると、ある種のパラドックス(逆説)に言及していたのだ。

 パラドックスとはこうだ。スピードが増すと、接地時間はどんどん短くなっていく。しかし力を加える時間が短くなるということは、地面に対して強い力を加えられなくなり、速度は落ちてしまう。
 つまりスピードが増すほど、物理学的には速度が落ちやすくなる――。山縣は当時20歳にしてそのことに気づいたのだった。

 今回のレースでは「空を飛んじゃうような現象」は起こらず、筆者の目には地に足が付いているような残像が残った。

 前日には、桐生の9秒98の走りを動画で確認した印象として「スタートから終盤までまんべんなく走れなきゃだめだと思った。自分の走りとしては得意なスタートからの加速区間だけじゃなく、終盤の伸びを加えていけば9秒台は出るんじゃないかと思う」と語っていたが、その注文通りという内容だった。

ドグラスの走りを参考に進化

「壁」突破とその向こう側に限りなく近付く一歩を踏み出した新たな走りだった。12年ロンドン五輪の予選で10秒07の日本人五輪最高を出した秋に故障して以来、ずっと度重なる試練と向き合い続けてきた積み重ねの果てに得られた走りだった。

 山縣は今春、周囲に「足がまだ後ろに流れている」と語っている。それはこれまでも課題とし、「重心の真下を踏み込む」ことによって「エネルギー効率を最大化する」ために取り組んできたテーマであったはずだが、いまだその精度に満足せず、さらに変化を求め続けているということになる。昨年のリオ五輪では「前だけを見る。3歩前のごみを拾う感覚」を得たはずだったが、「いまになって映像を見返すと、まだ足が流れていた。でも、今回は前でさばけるようになってきている」と成長を感じている。

 また、15年北京世界選手権、16年リオ五輪男子100メートル銅メダルのアンドレ・ドグラス(カナダ)の「重心の乗せ方」や「力の発揮の仕方」に注目し、イメージを参考にし、10秒00のレースでも「それを取り入れられた」と言う。

 これらの言動からは、パラドックスに関わる新たな走りへの進化が一歩進んだ可能性が高い。

「第2の男」争いはえひめ国体で

 そして、桐生の9秒98を出したレースで、となりを走って敗れた多田修平(関西学院大3年)も黙ってはいない。日本インカレ決勝は連戦の疲労がピークに達していた中で、力みからエネルギーが上方に抜けてしまう良くない内容だったにも関わらず、10秒07の自己新だった。万全の走りを会得したときには、こんなものでは済まない走りができるはずだ。

 だから、山縣との直接対決が見込まれる来月6日からの国体(愛媛県・松山市)は注目だ。予報によれば9月末からは夏から秋の空気に入れ替わるらしく、筋肉が硬直するような気温になれば9秒台のための条件としては良くないが、凡人の考える常識は覆されるかもしれない。

 こうして、「第2の男」を巡る真剣勝負は始まった。「ポスト・ウォールの戦国時代」の幕が切って落とされる予感がビンビンとしてきている。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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