衣笠祥雄氏が語る広島連覇の勝因とは!? ナインの落ち着きに「にくいねぇ」

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黒田の穴が懸念されたが、野村の立ち居振る舞いを見て、開幕前のその不安は払しょくされた、と衣笠氏 【写真=前島進】

 1965年から87年まで広島に在籍した衣笠祥雄氏。攻守の要として山本浩二氏らと赤ヘル黄金時代を築き、3度の日本一、5度のリーグ優勝に貢献した。また、当時は世界1位となる2215試合連続出場を記録するなど一世代を築いた衣笠氏に、広島37年ぶり連覇の要因について話を聞いた。

野村が黒田の代わりの精神的支柱に

 開幕前、黒田博樹の抜けた穴が最も懸念されていましたがキャンプ、オープン戦を見ていくうちに、私は「この穴は埋まった」と安心しました。それは野村祐輔という存在がいたからです。確かに野村は昨年、16勝を挙げて最多勝に輝いていました。ただ、白星という部分ではない。練習中の立ち居振る舞いなどを見て、本当に成長していた。黒田が担っていた精神的支柱という役割を野村が十分に果たしてくれるだろうと感じたからです。

 だから、私は黒田の抜けた穴はないと、そこに関しては安心していました。ただ心配だったのは若い投手がマウンドで本来の力を出せるか、ということ。これもシーズンが始まり、野村が手本を示してくれました。序盤、野村は好投しても白星には恵まれませんでした。しかし、常にマウンドでは変わらない。考えているのは自分の投球をすることだけ。本当に精神的に安定していました。これを若手も参考にしたのでしょう。例えば投手、大瀬良大地も勝てませんでしたが、それでもまったくへこむことがなかった。状況に左右されず、マウンドで自分の力を一生懸命に出そうとすることだけに集中しているように見受けられました。

 それにプラスして開幕前に計算外だった薮田和樹や中村祐太がシーズン途中から台頭してきました。彼らは本当に欲がない。さらに相手との駆け引きというより、自分の最高のボールを投げることだけを考えているように、私には見えました。例えば打者に直球を痛打されたとします。次の打席で打者は考えるわけです。「次は変化球かな」と。しかし、そういった状況でも直球を投げ込んでいく。彼らとしては「表」で勝負しているだけなのですが、打者にとっては「裏」をかかれたように思い、戸惑っている表情をしていることが、よくあったように思います。

 それに経験を重ねるごとに、失敗も多くなり、プレー中にそれが頭をよぎることもよくあるのですが、彼らにはそういったこともない。いつも“初めて”のような感覚で相手と対していたように思います。とにかくジョンソンがケガで離脱したりしましたが、彼らがよく投げてくれたおかげで、広島は安定した力を発揮できたと思います。

4番らしい4番に成長した鈴木

 打線では4月下旬から鈴木誠也が4番に座りました。鈴木が4番のプレッシャーに耐えられるか。4番という重責、打線の中心に座る4番という名前に力みます。もし鈴木が押しつぶされてしまったら、またイチからその候補を作るのに時間がかかるな、と思っていたのですが、それもいらぬ心配でした。8月下旬に戦線離脱してしまいましたが、鈴木はしっかりと、その役割を果たしてくれました。

 本当に4番らしい4番になりました。最初は難しいボールを何とか頑張って打とうとしている感じがありました。相手投手のウィニングショットを打ってこそ4番――という、打者としての欲のようなモノがあったように思います。ただ、実際はそういった必要はない。甘いボールを簡単に打つ。4番はこれでいいんです。いわゆる失投を逃さないこと。6月あたりから、こういった打撃ができるようになったと思います。

 それと、打線ではやはり“タナキクマル”。1番・田中広輔、2番・菊池涼介、3番・丸佳浩、この3人の存在は大きい。彼らがしっかりとコンディションを整え、1年間、ほぼこの並びを崩すことがなかった。3人とも非常に粘り強く、長打力を備えているから、相手投手は息を抜くことができないでしょう。1番から3番に相当の神経を使うので、相手投手の疲労度は非常に大きい。それが4番以下に好影響を与えていたのは間違いありません。松山竜平、バティスタに長打も出やすくなりました。

 それに、安部友裕、西川龍馬など、控えにいた選手が非常に“仲良く”見えました。誰かが苦しんでいると、自分が頑張る。自分が結果を出したら、「お前も頑張れよ」とエールを送っているように見える。切磋琢磨しながら、“仲良く”チームに貢献している姿が印象に残っています。

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