【ボクシング】背水の舞台で実力を証明した岩佐亮佑 英国での経験を糧に日本人対決制する

船橋真二郎

「強いボクサー」を目指し第2章のスタート

「リスクを恐れずに挑戦していきたい」と話す岩佐。遅れてきたホープは、どんなチャンピオンロードを歩むか 【写真は共同】

「今日は、たまたま僕の日だっただけ」と「たまたま」を繰り返した岩佐。これは社交辞令でも、謙虚さでもなく、小國の力を認めた上で勝敗は紙一重だったという本心ではないか。その分岐点が立ち上がりの初っ端にもあった。

 右構えと左構えの違いはあれ、ともにテクニシャンの試合巧者。お互いの出方が注目された初回、先に仕掛けたのは小國だった。苦手なサウスポー対策がうまく進まず、阿部トレーナーと相談した上で「駆け引きしても無理。1ラウンドから全力で4ラウンドぐらいまでガンガン行くつもりだった」と明かした小國。ジャブ、ジャブからワンツーと矢継ぎ早にストレートを繰り出し、先制。最初に繰り出したコンビネーションからの右をヒットした。

「最初の1発目が危なかった」と岩佐も振り返った右。「小國さんのストレートは思った以上にシャープで見えづらかったので、逆に『これは気をつけないと』と気持ちが引き締まった」という岩佐は集中。先にペースとポイントを奪ってしまおうとあえて勝負を懸け、「最初の右が当たって、『お、いけるか』と思ったけど……」という小國は、さらに攻め気にはやって距離を詰め、正面から攻めた。

「どっちかと言うと(小國が)出てこないほうを想定していた」という岩佐だが、相手がどう出てきても「対応できる引き出しは用意していた」。小國の左ジャブに合わせる左カウンターもそのひとつ。オープニングヒットが両者の心理に影響し、結果として小國を追い込むことになる序盤の3度のダウンが生まれたと言えるのかもしれないのである。

「うれしいというよりホッとした。シンプルに世界チャンピオンになれる人となれない人。それだけだと思う。自分がなれるほうなのか、ボクシングを始めてから今日まで分からなかったので、ずっとその格闘でした。ハスキンスに負けて、一度は諦めかけたけど、自分が世界チャンピオンになれる人間と証明できて、本当に良かった」

 18歳でデビューし、12月で28歳。どこか達観した言葉からも、流れた歳月とその間の精神的な成長がうかがえる。中学2年のとき、オープンしたばかりのセレスジムに入門。それ以来、習志野高校での活躍を経て、小林会長と二人三脚で歩んできたボクシング人生。「ここからが第2章のスタート」という岩佐は「海外で勝てる選手になりたい」とイギリスでの経験も踏まえて希望した。

「僕は有名になりたいわけじゃなくて、強いボクサーになりたいだけ。リスクを恐れずに挑戦していきたい」

 遅れてきたホープは念願のベルトを手にどのようなチャンピオンロードを歩むだろうか。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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